◇ 著者 : 西 鋭夫
昭和16(1941)年12月13日生
2005年7月25日 初版発行
2017年10月10日 7刷発行
発行所 中央公論社
¥ 1,388
1941年大阪に生まれる。
関西学院大学文学部卒業。
アメリカ在住の国際政治・教育学者。
フーヴァー研究所教授 〔リサーチフェロー〕
専門は国際政治学、政治教育学、日米関係。
この著は物語ではありません。
戦後永年公開されることの無かったアメリカの機密文書を調べ上げ、その基となる文書を
掲げながら纏めたもので、しっかりとした真実に基づいている著書です。
また日本人が知っておくべき重要なことが満載です。
・大東亜戦争とは何だったのか ?
・GHQとはどんな組織だったのか ?
・何故日本の教科書は嘘を教えるのか ?
ぜひこの本を読んで今ある日本の姿を考えて頂けるよう、その大要は「はじめに」と「おわりに」に
総括されていると思いますので、その全文を掲載しました。
〔次の項目をクリックでジャンプします〕
1; はじめに ‥‥‥
追記 ‥‥‥
2; おわりに ‥‥‥
アメリカ兵を見たのは5歳の夏。
蝉(せみ)、蜻蛉(とんぼ)、蛍(ほたる)、蝶々(ちょうちょう)、蛙(かえる)、蝮(まむし)、青々とした田圃(たんぼ)、焼けば美味しい螽(いなご)。青大将に2回咬(か)まれた夏。岡山県の美しい田舎に疎開していた時だ。
凸凹の田舎道を、カーキ色のジープが黄色い砂埃(すなぼこり)を上げ、走ってきた。半袖のカーキ色の軍服を着た4、5人の赤ら顔のアメリカ兵たちが大声で叫び、ジープから夢のような貴重品、チューインガム、タバコ、チョコレートを両手で掴(つか)み、何度も何度も空高くばら撒(ま)いた。
裸足(はだし)でボロの半ズボンで、鮒(ふな)取りをしていた私たち5、6人、文字通りの「餓鬼(がき)」は、歓声を上げ、網を放り出し、穴の空いたブリキのバケツも放り出し、見たことも無いジープの後を全力で追い、薄紫色の排気ガス、機械文明の匂いを胸一杯に吸い込み、必死になって宝物を拾い漁(あさ)った。
アメリカ兵たちはジープを停め、笑いながら私たちの写真を撮っていた。
チョコレートを口一杯に頬張(ほおば)り、チューインガム、タバコをポケットに溢れるほど詰め込み、さらに両手に余るほどの戦利品を家に持ち帰り、意気揚々と父親に見せた。
「乞食(こじき)!」と怒鳴られた。
子供ながら、食糧不足で痩(や)せ細った父の顔に走った「惨(みじ)めさ」「寂しさ」を見逃さなかった。
あれから60年。
「経済復興」というスローガンを掲げ、銭(かね)のためにはアメリカに苛(いじ)められても、無視されても、公に侮辱され、利用されても、ひたすら「富」の蓄積に涙ぐましい努力をし、やっと世界一、二位の金持ちになった。日本はアメリカの「乞食(こじき)」として生きてきたのか。
豊かな日本はアメリカに諂(へつら)う精神状態から抜けきれない。上目遣いで卑屈な生活を続けると、それが日本の「面(かお)」に出るのだ。
日本国民は、第二次世界大戦中、アジア・太平洋戦で、敵軍米兵が尊敬の念を持たづにはいられないほどの「国を愛する心」と「誇り」に支えられた勇敢さで死闘を繰り広げ、数百万人の犠牲者を出し、破れた。
日本国歴史上、前代未聞の敵軍による「日本占領」が始まる。
国破れて、占領が始まった1945(昭和20)年の夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病(やまい)に冒(おか)され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。飢餓寸前の食料危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏を呟(つぶや)き、「富」の蓄財に奔走した。
「富」の魔力に惑(まど)わされ、「富」に真の幸せがあると錯覚し、日本国民は形相物凄(ぎょうそうものすご)く「富」を追求した。戦勝国アメリカが「世界一素晴らしい」アメリカ国内市場を日本の企業に提供してくれた。「日本のために」「経済復興のために」と。
しかし、「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だったとは国民誰一人として気づかなかった。この危ない絡繰(からくり)に気づいて警告を発した人がいたとしても、「極右」とか「軍国主義」と罵倒(ばとう)を浴び、無視されただろう。
アメリカにモノを売って日本は金儲けをした。
アメリカにとっての見返りは、日本人の服従。日本人の勇敢さ、戦闘心、「武士道」。脈々と耐えることなく流れ続けた日本国の歴史。歴史に育(はぐく)まれ、成長してきた愛国心と誇り。即(すなわ)ち日本人の「魂」。
この無形の「見返り」をまんまと日本から取り上げたアメリカは、「また、勝った!」と思っている。銭(かね)では計れない、赤字、黒字決済簿に出てこない「誇り」を、アメリカは敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民の心の中から、永久平和と民主主義という甘い言葉で誘い出し、アジア・太平洋の「征夷大将軍」マッカーサー元帥の密室で扼殺(やくさつ)した。
その死体が、憲法9条。
第9条は「愛国心」の墓。
富める国の真っ只中にありながら、忘れ去られた墓。誰も訪れない無縁仏。
ブランド物の美しい服で着飾り、美味しいものを食べ、多額の金を使い世界へ物見遊山(ものみゆさん)に行き、また、ハイテクの小道具で日常生活を楽しんでいる富国日本の人々の心の中にはペンペン草が生えているのだろう。
己を顧みず、国の歴史となんの絆も持たず、国の栄光と失望、夢と後悔、誇りと反省などには目もくれず、ひたすら「物・富」を追いかける今の日本の姿は、飢えていた5歳の私と同じではないのか。
我々の「誇り」は第9条の中に埋葬されている。
日本国民は、戦後、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。そのように教育されてきた。今でもそう教えこむ。
アメリカは自国の国益を護るため、自国の安全を確保するため、あの猛勇日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を二度と見たくなかった。我々日本人から「命をかけても譲らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し、強い国になり、太平洋で、アジアで、アメリカの進出を邪魔するかもしれない、アメリカに報復するかもしれないと恐れていた。
日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学教教育で徹底させるべし。マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。
アメリカが恐れ戦(おのの)いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は今でさえ「平和教育」と呼び、亡国教育に現(うつつ)を抜かしている。
1946(昭和21)年の春、アメリカから教育使節団が来て、日本の学校教育を2週間ほど見学し、日本の生徒には「日本語は難しすぎる」と判断し、「日本語をローマ字にせよ」と迫った。50年後の1997(平成9)年、文部省は小学1年生から、ローマ字ではなく英語を教えると発表した。
「新文明開化」の夜明けか。これを「国際化」と言うのか。
アメリカの「マインド・コントロール」は天才的だ。操(あやつ)られている日本国民は12歳か。日本占領の独裁者マッカーサーが「日本国民は12歳だ」と公の場で明言した。
あの口五月蠅(くちうるさ)いアメリカ、自動車部品1個、2個と数えるアメリカ、コダック、富士フイルムを1本、2本と数えるアメリカが、日本の「教育」に文句を言わない。一言も注文を付けない。
日本の教育は今のままで良いと思っているからだ。アメリカは日本教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。
アメリカは日本を見て、自画自賛している。「日本占領」はアメリカ版の成功物語。マッカーサーは今でもアメリカの英雄だ。
「日本占領」は、日本の未だ終わりのない「惨敗物語」。
敗戦国になり、「一億総懺悔(ざんげ)」をさせられ、隣国から、世界中から絶えず罵倒され、「謝れ」と言われ、国際平和、国連、ユネスコ、ODAという有名無実の名の下に多額の金を巻き上げられ、その上、「劣悪な国民」の烙印を押され、永い永い年月が経った。
1868(明治元)年の明治維新以来、「富国強兵」を国の目標とし、日本は世界史上まれに見る「国造り」に大成功を収めた。当時、欧米の植民地に成り下がったアジアで、日本「富国」となった今、日本には「強兵」がいたからだ。
「富国」となった今、日本には「強兵」がいない。
今、アメリカ軍の強兵が日本にいる。
1945年から1952(昭和27)年まで続いたアメリカの占領中、アメリカは日本を信念も自信もなくしてしまう国に仕立て上げ、自衛も出来ない丸裸の国にした。アメリカに頼らなければ生きてゆけない国に仕立て上げた。
日本中にあるアメリカ軍の大きな基地は、日本が「提供」しているのではなく、アメリカ軍が戦利品として「没収」したものだ。アメリカ占領軍は、未だ日本から立ち去らず、「属国・植民地」の動静を監視している。その監視費用(年間5千億円)も日本が出す。「広島と長崎の夏」の前、日本の国土に外国の軍事基地はなかった。他国の基地があるのが異常なのだ。
それどころか、職業軍人マッカーサーが妄想逞(たくま)しく、争いのない「天国」を夢見て、6日間で綴った作文を「犯すべからざるの聖典」、憲法と崇(あが)め、いかに世界が、日本の現状が激変しようとも、マッカーサーの「夢のまた夢」にしがみついているのが、今の日本の姿。
腹も立てず、侮辱も感じず、今の日本が「平和の姿」だと独り善(よ)がりの錯覚をしている。
日本の首相も屈辱を感じないんだろうか。首相が「参勤交代」をするかのようにアメリカを訪問し、ワシントンDCにあるホワイト・ハウスに招待され、その後、必ず隣のバージニア州アーリントンにあるアメリカの聖地、国立墓地、(National Cemetery)と無名戦士の墓(Tomb of the Unknown Soldier)に詣(まい)る。連れて行かれる。
この墓地にアメリカの英霊が眠っている。日本の首相は花輪を捧げる。かつての敵に、敬意を払うことは礼儀を弁(わきま)えた大人の姿だ。
日本にもアーリントン国立墓地に匹敵する厳粛が場所がある。ところが、首相が帰国して、祖国の英霊が眠っている靖国神社に足を運ぶのか。運ぶ首相もいる。だが、近隣諸国の感情を逆撫(さかな)でしてはいけないと細心の気を配り、あたかも悪いことをしているかのように人目を避け、終戦記念日を避け、こっそりと英霊に黙祷する。近隣諸国は、待ってましたとばかり「戦争犯罪人を擁護している」と日本を攻撃する。
日本の兵士たちは、理由はどのようなものであれ、祖国日本のために死んでいった。このひとたちに敬意と謝意を払うのは、生きている日本人としての礼儀である。日本国の首相として、最小限度の礼儀だ。敵兵の英霊に頭を下げ、祖国の兵を無視する国は、最早(もはや)「国」としての「誇り」も、いや、その「意識」もないのだ。
アメリカの大統領も日本に来る。彼等は靖国神社に表敬訪問しない。そんなものが東京にあるのも知らないのだろう。あってはならないと思っているかもしれない。ここに、アメリカと日本の真(まこと)の関係が見える。
繰り返す。「日本占領」は、アメリカ外交史上最高の「成功物語」。
トップに戻る
~~ 追 記 ~~~
この本を書くようになった経緯(いきさつ)について一言。
東京オリンピックの年、1964(昭和39)年の初夏、私はアメリカの西海岸、ワシントン州シアトルにあるワシントン大学の大学院は留学した。運賃の安い船便で渡米した。
在学中、「日米外交史・第二次世界大戦」のゼミを取り、「太平洋戦争」について初めて詳しく学んだ。
日本の学校教育では、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)になると「1931年、満洲事変」「1941年、真珠湾攻撃」「1945年、広島・長崎の原爆」しか教えない。日本の「悪行」と「原爆の非人道的な悲劇」だけを強調する。
歴史は勝った国から見ると、こうまで違うのかと驚いた。
アメリカ国民は原爆投下に関して、罪悪感を持っていない。アメリカ人が少しでも「反省」をしてくれれば、日本が受けた悲惨が癒やされるのではないかと我々日本人が望んでいるだけだ。アメリカは「原爆で勝った」と信じている。
日本の「真珠湾攻撃」を、日本の「汚い、邪悪な性格」を象徴するものだと、アメリカ国民は今でも12月8日になると、「Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」と唱える。学校教育でもそう教えているからだ。
今日の日本に決定的な影響を与え、運命を決めたアジア・太平洋について、日本人の私がアメリカで初めて学んだということは、文部科学省と日教組に牛耳(ぎゅうじ)られている日本の学校教育が、いかに祖国の歴史を軽蔑し、無視しているかを曝(さら)け出したようなものだ。
その祖国の歴史、「日本史」さえも必修でなく、大学受験の都合で選択科目にしている学校教育は「亡国」という凶事への前兆か。
博士論文は日米関係のどの時代について書こうかと漠然(ばくぜん)と考えていた時、『ニューズウイーク』誌(1974年末?)の小さな記事が目についた。「1945年度のアメリカ政府の機密文書を公開する」と書いてあった。アメリカ政府は極秘文書を30年後に全面公開する。30年で時効となる。これも、アメリカが偉大な国であるという証(あかし)の1つではなかろうか「日本には時効はない。機密文書は永遠に極秘だ」。「1945年は昭和20年。アメリカの占領が始まった年だ。日本人の知らないことが隠されているのではないだろうか。アメリカ政府の本音が解るのではないだろうか」と思った。
一週間後、ワシントン大学大学院の研究助成金を受け、ワシントンDCに飛び、National Archives(アメリカ国立公文書館)へ直行した。ここには、アメリカ独立宣言の原文があり、ここにアメリカ政府の重要文書すべてが保管してある。公文書館の建物は惚れ惚れするほど見事。これはアメリカの国力か、富の深さか。いや、歴史を大切にする心意気であろう。
「国務省(Department of State 日本の外務省にあたる)の1945年度のファイルを見たい」と申し出た。すると、礼儀正しい、度の強いメガネをかけた係員の一人が、私を地下の迷路に連れて行き、四方に頑丈な金網の張ってある小さな部屋に案内してくれた。金網は濃い緑に塗ってあった。「しばらく待っていて下さい」という。
この部屋には灰色の金属製の長方形のテーブルが一台、鉄製の椅子が一脚。床はコンクリ-トで灰色に塗ってあった。身の引き締まる思いがした。15分ほどして、この係員が手押し車に灰色の箱を20ほど積み、ゆっくりと部屋に入ってきた。「入ってきた」といっても、外からも内からも、係員の動作も私も丸見えだ。「あと数十個ありますから、これらが済み次第お知らせ下さい」と言って、係員は部屋を出た。
これらの箱の上には、うっすらと埃(ほこり)が積もっており、それに指紋がついていない。どの箱にもついていない。箱は両手を使わねば開けられないもので、30年間たった後、機密文書の扉を開けるのは私が始めてかと、興奮した。あの感情の高ぶりは、生き埋めにされている日本の歴史に対する畏敬(いけい)の念だったのだろうか。存在していたことも知られていなかった貴重な生資料が、次から次へと出てきた。それらを複写し、大学へ持ち帰り、博士論文(1976年)を書き上げた。
その論文が、スタンフォード大学内にある世界的に有名なシンク・タンク、フーバー研究所のラモン・マイヤーズ博士の目に止まった。マイヤーズは毎年素晴らしい学術専門書を続々と出版する怪物。「フーバーに来て、本を書くか」と誘われた。
誘われる前から、ぜひ一度でもよいから行ってみたいと思っていた研究所だ。フーバー研究所で働きながら、日本占領についてさらに調査の枠を広げ、トルーマン大統領図書館(ミズーリ州インディペンデンス)、マッカーサー記念図書館(バージニア州ノーフォーク)で数々の新しい貴重な資料を発掘した。これらの図書館には、日本人研究者が今まで訪れたことがなかったので、歓迎された。トルーマン図書館財団から研究奨励金を受けた。
「日本占領」は、当時(1970年代)「ポピュラーな研究題材」ではなかった。占領について書かれた本も殆どなく、ある本といえば、占領に参加したアメリカ役人及び軍人が、個人的な回顧録として「マッカーサーの日本占領」を美化しながら書いたものだ。
フーバー研究所の、アメリカで著名な教育学者のポール・ハナ博士を紹介され、親しくなった。ハナが「ここフーバーの公文書館にトレイナー文書があるが、誰も使っていないんだ。なぜかなあ」と私に尋ねられた。灯台もと暗しとはこのことだ。誰も使っていないのは、誰も知らなかったからだ。
ジョセフ・トレイナーは、日本占領中、マッカーサーの本部(GHQ)で、日本の教育改革に携(たずさ)わった男だ。彼は教育改革に関し、アメリカ側と日本政府側の厖大(ぼうだい)な量の文書を集めて保管していた。「トレーナー文書」は「宝庫」だ。
アメリカの占領政策が戦後日本の「姿」を形作った。そのアメリカ製「日本」を永久化しようとしたアメリカは、日本の学校教育および教育哲学に目を付け、大改革をした。それ故、「トレーナー文書」は重大な「発見」だった。
原稿を書き上げるのには丸3年かかった。英文で九百ページ近くになった。タイプライターで書いた。当時使いやすいワープロは、まだ普及していなかった。マッキントッシュも、発明されていなかった。
この原稿はハナ博士、それから、名前は挙げないが、プリンストン大学の日本研究で著名な教授、スタンフォード大学教授、エール大学教授、フーバー研究所主任研究教授、そして、マイヤーズ博士によって同時に読まれ検討された。全員一致で「出版」が決定した。
この方式を「レフリー・システム」という。第三者の判断を仰ぎ、原稿に出版する価値があるかないかを決定する客観的な制度だ。これはアメリカの学会では当然のことであり、全ての学術論文の判定にもこの方式が使用される。
スタンフォード大学フーバー研究所出版から出た本のタイトルは Unconditional Democracy。
日本の「無条件降伏(unconditional surrender)と「民主主義」とをかけたもので、「有無を言わさず民主主義化された」という強い皮肉を含んだタイトル。アメリカでは、このタイトルだけでも有名になった本だ。
この本は、アメリカで公開された生の機密文書を使って書かれた最初の本である。出版されたのは1982(昭和57)年。2004年3月に、フーバー研究所がらペーパーバック版が刊行された。22年も経過して、再版されたのは理由がある。アメリカのアフガン戦争と占領、イラク戦争と占領が大混乱に陥り、無政府状態が続いている。大成功をおさめた「日本占領」をもう一度詳しく吟味すれば、アフガンとイラク占領に役立つものがあるのであろう、と期待をたくして、この本が再出版されたのである。
私が翻訳したのではないが、大手町ブックスから『マッカーサーの犯罪』として、1983年に出版されたのはこの本だ。その直後から、日本からもアメリカ国内からも、学者たちから電話や手紙が沢山あった。占領関係の資料についての「教えを請(こ)う」ものだった。
『国破れてマッカーサー』はUnconditional Democradcyと『マッカーサーの犯罪』を基に、戦後日本の原点、「占領」という悲劇をさらに明らかにしようと、私自身が全面的に書き改めたものである。
私がアメリカの生資料に重点を置くのは、アメリカが敗戦日本を独占し、好きなように操(あやつ)ったからだ。事実、占領中、日本での公用語は英語だった。即ち、日本政府の全文書、マスコミの全印刷物、NHKの全放送内容は英訳され、マッカーサーの司令部(GHQ)の判断を仰がねばならなかった。日本の政治家の発言、演説も全て英訳された。日本中が検閲された。
日本の政治家の誰それが、マッカーサーの日本壊滅戦略に奮戦抵抗した、と近年言われているが、マッカーサーは日本人の抵抗を「負け犬の遠吠え」としてしか聞いていなかった。
アメリカが「占領劇」の主役だ。
アメリカが「戦後日本」の生みの親。
「日本占領」と「戦後」には同じ血が流れている。「占領」から脱皮しなければ、日本の成長はない。「アメリカ」から脱皮しなければ、日本は「国」にはなれない。アメリカの「文化力」に抵抗しなければ、日本文化は消滅する。
しかし、『国破れてマッカーサー』は、アメリカの悪口を言ったり、非難した本ではない。「占領政策」がどのようなものであったかを、アメリカ政府の極秘資料を使い、赤裸々(せきらら)に記述したものである。
戦勝国アメリカの肩を持たない。
敗戦国日本の弁護もしない。
日本の読者が聞きたくも、見たくもないことが書かれているかもしれないが、事実の追求がこの本の「魂」だ。
これから続く章では、なるべく私見を挟むことをさけ、「占領」の真の姿を忠実に記述するため、歴史的に重要な生資料だけで「話」を進めていくように努力した。
資料に存在しない架空の「会話」や「舞台」を作成するようなことはしない。
『国破れてマッカーサー』は、小説ではなく、書き換えることの出来ない現実の記録である。
凶暴かつ激動の20世紀を疾風のごとく駆け抜けた日本帝国は、魂の情念が燃え上がったかのように、息が止まるほど美しく悲劇的であった。
その日本帝国の盛衰(せいすい)を「諸行無常の響きあり」と受け止めるだけの悟りも、精神的な鷹揚(おうよう)さも、成熟さも、私は持っていない。
戦後日本を作った「アメリカ日本占領」の枷(かせ)から自由になれない日本で生活している私の心は、「無」になれない。
1945年の真夏、50万人の敵軍が焦土日本に上陸した。力尽きた日本人は、雄々しい敵兵を見て、痛烈な自信喪失に陥った。日本帝国の日本が、夢の跡が、次々と敵兵の軍靴(ぐんか)に踏み荒らされたが、我々日本人は抵抗する力も意志も残っていなかった。
夢を追い、ロマンの炎に身を焦がし、追えば負うほど遠くへ行ってしまう夢。それでも、その夢を見失うことなく追い求めた、貧しかったが勇敢であったあの国民は、もはや死に絶えてしまったのだろうか。戦後の日本国民は、夢を失った民なのだろうか。
日本人は勇敢だった。蛮勇かもしれない時もあったが、絶えず信念を持っていた。信じきれるものを持っていた。それが日本国民の、世界的に有名な、強靱な精神力の源となっていた。食料も弾薬も尽き、手向かえば死ぬと解っていながらも闘った日本兵。降参もせず、次から次へと玉砕する日本人。
「天皇制・軍国主義の犠牲」だけでは、説明のつかない民族の誇りのため、民族の存続のため、父母のため、夫や妻や子供のため、というイデオロギーを超えた一個人の「命の生きざま」も、これらの「死」に秘められているのではないだろうか。
帝国主義という欧米の組織化された強者生存の、「力は正義なり」という、生死を賭けた戦いに出遅れたアジアの国日本が、「富国強兵」に国運を託し、全アジアを植民地にしていた欧米の暴力に屈せず、「国造り」に励んでいたが、ついに1941(昭和16)年、国家安全のためにと信じ、大戦争に突入した。
その壮絶な戦いで、国のために死んでいった日本人を単なる「犠牲者」として片付けるのは無礼である。非礼である。
戦没者たちを「犠牲者」として憐れむのは、戦後日本でアメリカの「平和洗脳教育」を受けた者たち、またアメリカの片棒を担いで「日本の平和のために」と言っている偽善者(ぎぜんしゃ)たちが持っている優越感以外のなにものでもない。
憐れむ前に、戦死していった人たちに、鎮魂の念と感謝の念を持て。
日本という「国」が悪で、日本国民は「無実の、いや無知な犠牲者」だという発想は、マッカーサーが仕組んだものだ。東京裁判もこの発想で進行した。
この発想は、「国民が国」という民主主義の土台をひっくり返したものであり、マッカーサーが日本の国民に特訓した民主主義に反するものであった。
しかし、「国」が悪いとする考えは、日本国民が「国」を愛さないようにするためには、実に巧妙で、効果的な策略であった。
この絡繰(からくり)にハメられ、ハメられた状態を戦後民主主義と崇め、国歌、国旗、を「国の悪の象徴」とし否定し、憲法第9条を「平和の証」と奉っている多数の有識者といわれている人たちは、「日本潰し」を企て、実行したアメリカの手先か。
悪いことは重なるもので、戦後日本でマルクス・共産主義という「神」を崇めている教師たちは、ソ連と中国の工作員であるかのように振る舞い、「日本という国が悪い」と若い世代に教え込み、戦没者を「犠牲者」と呼ぶ。
アジア・太平洋の征服を目論み、進出してきたアメリカと日本帝国が戦争した4年間を、日本の歴史の全貌と取り違え、日本の長い歴史と文化さえも全部否定するという馬鹿げたアメリカのプロパガンダを鵜呑みにした日本の有識者たちや学校教師たちは、無知なのか。
それとも、日本を裏切り、潰そうと企んでいる悪いやつの集団なのか。
征服者マッカーサーは、勇猛な日本国民を弱くしなければ、アメリカの国家安全を脅かされる、と恐怖の念に駆られていた。弱民化する最良の武器は「教育」である。
「国家百年の大計」といわれる教育を武器に使った。
アメリカが大嫌いな日教組は、アメリカの日本弱民化作戦の片棒を担がされていることに気づいていないのか。マッカーサーの日本統治能力を明白に証明したのは、彼がこの教育を重視し、徹底的に利用したことだ。
「夢を持つな」「ロマンを追うな」とマッカーサーに命令された日本は、夢を捨てた。誇りも捨てた。信念も捨てた。捨てさせられた。
マッカーサーは攻撃を続け、日本の文化や伝統の本質は劣悪で、邪悪である故、日本国民が欧米化(キリスト教への改宗)することに救いがあると断言した。
日本人であることは「恥」であり、それが「一億総懺悔(ざんげ)」となる。
近年、日本中で流行している「日本社会の国際化」とか「グローバル・スタンダード化」も、占領時代に始まった「欧米化」の流れが、今や荒れ狂う洪水となって、我々に襲いかかってきているのだろう。
我々の思考を欧米化し、国語も英語化し、我々は国を挙げて、欧米の真似をすることに懸命に努力する。誇りを持てる美しい姿ではない。
明治維新以来、我々日本人は、攻撃的な欧米につき、結局何も学ばなかったのか。
歴史を無視すると、歴史の仕返しを受ける。「歴史を繰り返す」というが、それは「歴史から学ぼうとしなかった」者たちが繰り返す同じ過ちのことをいう。
「忠誠」「愛国」「恩」「義務」「責任」「道徳」「躾(しつけ)」という日本国民の「絆」となるべきものさえも、それらは凶暴な「軍国国家主義」を美化するものと疑われ、ズタズタにされ、日本国は内側から破壊されていった。
日本人は「国」という考えを持ってはならない、日本人は誇れるモノを持っていないので、誇りも持ってはならない、「国」とか「誇り」という考えそのものが、戦争を始める悪性のウイルス菌であると教育された。
この恐るべき、かつ巧妙な洗脳には「平和教育」という、誰も反対出来ないような美しい名札が付けられていた。
現在でも、「平和教育」という漢字が独善面(どくぜんづら)をして日本中の学校で横行している。
この独善が、憲法9条となり、日本のアメリカ依存を永久化しつつある。
第9条は、日本国民の「愛国心」「国を護る義務・責任」を殺すために作られた罠だ。
第9条は、生き埋めにされた「愛国心」の墓。日本の男たちが、自分たちの妻、子供、父母、兄弟、姉妹、恋人を護らなくてもよい、いや護ることが戦争であると定めたのが、第9条。
あえて卑近な言い方をする。雄が雌を譲らなくなった種族は死に絶える。他の種族のオスに護ってもらっていると、その種族に乗っ取られる。
日本の存続にとって危険極まりない第9条の枷(かせ)は、アメリカにとって、「太平洋はアメリカの池」「日本はアメリカのモノ」という事実を確立した偉大な業績の証である。
「自衛」を放棄する国が、この世の中に存在するとは‥‥‥‥。
占領後、日本の最高裁判所が「自衛隊は違憲ではない」と仄(ほの)めかしているが、そのような軽薄なこじつけ理論で日本国を司(つかさど)ろうとしている日本政府と司法界が、日本をいじけた弱者にしている。
第9条を生んだ「精神」は、自己防衛のための武力も禁止したのだ。
無抵抗(第9条)が最も有効な防衛手段であると唱えた勝者マッカーサーの譫言(うわごと)を盲目的に信じ込んだ吉田首相と日本国民は、平和を心より望んでいたのだろうが、あまりにも無邪気であった。その場しのぎの目先勘定だけで逃げきろうとしたのだろう。その「逃げ」のツケを、既に半世紀以上も日本国民は支払わされている。
第9条の下(もと)、平和教育を受けた日本の政治家たちの指導者としての評価は、彼等がいかにアメリカの国益に日本の政治・経済を擦(す)り合わせることができるかで決められている。アメリカを怒らせず、日本国民にはアメリカの国益どおりに動いていないと見せかけながら、アメリカに隷属を続ける才能が、戦後日本でリーダーシップとして高く評価されている。
近年、「アメリカは日本の内政に干渉している」と強気な発言が、マスコミにチラホラと登場してきているが、アメリカの「日本統治」は、そのような生やさしい「内政干渉」どころではない。
「内政干渉」などしなくても、日本の首相は世界の征夷大将軍・アメリカ大統領がお住まいのワシントンへ参勤交代をする。
日本がアメリカにいかに忠誠を尽くしても、アメリカ経済の体調がおかしくなると、アメリカのご機嫌が悪くなり、日本が殴られ、日本の経済はアメリカの食い物にされる。アメリカの経済を支えるため、アメリカ国民に良い生活をしていただくために、日本国民は厖大(ぼうだい)な貯金をし、その金でアメリカの、これまた厖大な国債を買う。買わされる。それでもまだ殴られる。
日本が怒り狂い、ついに伝家の宝刀を抜いて、アメリカに脅しをかけるかと期待しても、悲しいかな、日本の「伝家の宝刀」とは何だろうと見当もつかない現状が、日本の姿である。
このような日本を見て、アメリカは「日本には強いリーダーがいない」と宣(のたま)う。
私は、悪い夢を見ているのか。
日本の「伝家の宝刀」とは、日本人の「誇り」と「勇気」だ。今、憲法9条の下に埋葬されているあの誇りだ。一個人にとっても、国家にとっても、誇りほど強力な武器はない。
敗戦後、日本人は、必死に「富」を追求し、巨万の富を築き上げることに成功し、世界一、二位の金持ちになり、世界中からチヤホヤされて、有頂天になった。その直後、「金」の脆(もろ)さを思い知らされた。
日本の輝かしい「富国」に対して、嫉(ねた)みの熱病に魘(うな)されていたアジアの隣国、いや世界中の国々は、この時とばかりと追い打ちをかけ、経済超大国を土下座させ、大昔の「罪状」を取り出し謝罪させ、金を巻き上げ、捨て台詞に「日本は正しい歴史観を持っていない」という。
日本人の弱い精神状態の根源は、心の中に、強い信念、信じ切れるモノ、を持たないからだ。いかに精神的な虐待を受けても、怒り狂うような、はしたないことはせず、ただ右往左往して、誰かに好かれようとする日本。
その日本が「金」を祀(まつ)った宗教に、心身ともに捧げた。挙げ句の果てが、この虚(むな)しさ、この虚脱感。日本人の心の中に、今、何があるのだろうか。
誇りを捨てた民族は、必ず滅びる。
誇りを取りもどした民族は、偉大な民となり、その文化も栄える。
1945年の夏以後、日本人は自国の永い歴史を忘れ去りさえすれば、「世界中お友達」の理想郷が出現するとでも思っていたのだろう。
どの国の歴史も、戦争と平和の歴史だ。善し悪しを超えた、生きるための死闘の歴史だ。イギリスの歴史も、アメリカの歴史も、中国の歴史も、生きていくための戦争と平和の歴史だ。この事実を知らない日本人ではない。
戦後の日本国民は、第9条に甘えた。この甘えを助長したのは、アメリカ。
日本がアメリカに甘えれば甘えるほど、アメリカに都合よく操られた。この単純な上下関係が、今でも続いている。日米安全保障条約である。
マッカーサーは、「民主主義」「平和」という言葉を頻繁に使ったが、「平和」の裏に、マッカーサーの恐怖心、日本民族に対する恐怖心、日本民族に対する戦慄感(せんりつかん)があることを見逃してはならない。彼は、日本人に平和を望んでいたのではなく、日本人の弱民化を実行していたのだ。アメリカの国家安全のために、日本人の誇りを潰した。
アメリカに飼い慣らされた日本人は、「誇りの骸(むくろ)」を「平和」と呼ぶ。アメリカの対日「国家百年の大計」は、既に完成しているのではないか。
闘う意志がないのは、平和主義ではない。敗北主義という。
平和は戦い取るものだ。戦い取るから、平和の大切さが解る。平和のため血を流し、命を落とすから、平和の尊さが解る。
戦後日本の「平和」は、強いアメリカ軍が勝ち取った平和のお零(こぼ)れを投げ与えたもらっているものだ。用心棒アメリカを、多額の金を出して雇って得た「平和」。
アメリカが「神・佛」で、その力に依存する。真の他力本願の平和だ。だが、これは「平和」ではない。単なる「隷属」である。アメリカへの服従なのだ。
戦いに一度負けたから、国を護ることを放棄する、しなければならない、という12歳の少年のような発想はどこから浮上してきたのか。マッカーサーの白昼夢からだ。それを、英知として「平和憲法」の中へ書き込んだ。
無防備が最強の武器と夢見たマッカーサーは、やがてそのお伽話(とぎばなし)のような夢から目を醒ましたが、未だに醒めていないのは日本国民。
浦島太郎でもあるまいに、目が醒めたとき、日本国民が直面する現実は、強者生存だけの自然淘汰の世界である。
日本国民は己の歩む道を見いだせないまま、己の夢もロマンもなく、世界を牛耳るアメリカの国益の餌食となり、利用され、感謝も尊敬もされず、アメリカの極東の砦として、終焉を迎えるのだろうか。
我々の魂と誇りの情炎が、二度と燃え上がることもなく、国の宝であるべき若者たちは、国の歩みも知らず、激情の喜びや有終の美も知らず、感動する夢やロマンを見いだせず、我々富国日本の住民は、二千年の国史をむざむざと犠牲にして、打ち拉(ひし)がれた精神状態のまま、寂しく亡国の憂(う)き目を見なければならないのか。
「国破れて山河在り」は、誇り高き敗者が、戦乱で壊された夢の跡に立ち、歌った希望の詩だ。歴史に夢を活かすため、夢に歴史を持たせるため、我々が自分の手で、「占領の呪縛(じゅばく)」の鎖を断ち切らねば、脈々と耐えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く。