至高の十大指揮者


至高の十大指揮者

著者:中川右介
角川文庫
 令和6年2月20日 再版発行
             ¥1,364


至高の十大指揮者
トスカニーニ/ワルター/フルトヴェングラー/ミュンシュ/ムラヴィンスキー カラヤン/バーンスタイン/アバド/小澤/ラトル
(角川ソフィア文庫)


  「三大指揮者」と称されたトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーからカラヤン、バーンスタイン、ムラヴィンスキーを経て、現代の巨匠ラトルまでの大指揮者列伝。
無数の指揮者のなかから、地域・時代のバランスを考慮しながら10人を選び、どのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語を提示する。 
師弟、先輩・後輩、友人、ライバル………。
相互に関連する著名な世界的指揮者たちの人間ドラマ。


 〔著者について〕
● 中川 右介:1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。 出版社IPCで編集長を務めた後、1993年にアルファベータを設立し、2014年秋まで代表取締役編集長を務める。2007年
からはクラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガ等の分野で執筆活動をおこなっている。
  主な著作に『戦争交響楽 音楽家たちの第二次世界大戦』(朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986[増補版]』(角川文庫)などがある。

------ 「あとがき」 より

十人のうち、最初の三人、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの物語は、1つの大きな物語を異なる角度から見たものである。彼らは地球を西に東に、時には南半球にまで移動していたが、二十世紀前半までの「音楽界」は狭い世界で、みな「知り合い」だった。それゆえ濃い人間関係がそこにある。

二十世紀前半の時点で、クラシック音楽はとっくに商業化されていたが、それでもまだ「芸術」のメンが強く、彼らは偉大な芸術家として社会からリスペクトされ、偉大な人物として振る舞うことも期待された。それゆえ、時の権力者からも利用、あるいは敵視された。

---図書レビューから---

◇ 古今東西の大指揮者から10人を選び、そのキャリアと人生をひも解き、何を成したかに迫った歴史ドキュメンタリーです。誰が選ばれているかは皆様が想像したうえで実際に確認して頂くのが面白いでしょう。いわゆる演奏比較評でなく個々の人物像をリアルかつ分かりやすく描き、相互の関係性までさりげなく提示する視点がユニークで「クラシック音楽から見た世界の近現代文化史」としても興味深く読めます。個人的にはミュンシュ、カラヤン、小澤征爾さんにある種の連続的共通項を感じたのが面白かったです。こういった書籍としては珍しく文庫版なので手を伸ばしやすいと思います。

◇ 本書は「同じ曲でも指揮者によってどう違うのか」といった演奏比較を目的とした本ではない。もちろん、演奏を聴いていただきたいので、それぞれのCDを何点か紹介していくが、名盤ガイドではない。ネット時代のいまは、検索すればたいがいの演奏家の曲がすぐに見つかり、タダで聴くことができる。それがいいのか悪いのかは別として、かつてのような、「この曲はこの人の演奏」「この指揮者ならこの曲」という名曲名盤選びは必要なくなった。
したがって、演奏比較、その特色の解説といった観点ではなく、その指揮者がどのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語を提示する。
指揮者ごとの列伝なので、それぞれの章は独立しており、興味のある人物から読んでいただいてかまわないが、それぞれの物語にほかの指揮者が脇役として登場することも多いので、第一章から順に読んでいただいたほうが、通史としてわかりやすいかもしれない。

=== 目次 ===

第1章 「自由の闘士」アルトゥーロ・トスカニーニ
第2章 「故国喪失者」ブルーノ・ワルター
第3章 「第三帝国の指揮者」ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
第4章 「パリのドイツ人、ボストンのフランス人」シャルル・ミュンシュ
第5章 「孤高の人」エフゲニー・ムラヴィンスキー
第6章 「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン
第7章 「スーパースター」レナード・バーンスタイン
第8章 「無欲にして全てを得た人」クラウディオ・アバド
第9章 「冒険者」小澤征爾
第10章 「革新者」サイモン・ラトル

****** はじめに ******

 クラシック音楽には、ピアノ曲もあれば歌曲もあるが、やはり一般的なイメージとしては、オーケストラが奏でる交響曲だろう。
 その、オーケストラの演奏会に欠かせないのが、指揮者だ。
 専業の指揮者が音楽史に登場するのは19世紀後半で、まだ150年前後の歴史しかない。最初のスター指揮者と言えるのが、ハンス・フォン・ビューローというドイツ人だ。1830年に生まれ、フランツ・リストの弟子となりピアニストとしても超一流で、作曲家でもあった。いまでは指揮者としての名声のほうが残り、とくに、ベルリン・フィルハーモニーの初代首席指揮者として知られている。
「名指揮者の系譜」は、このビューローに始まる。
 ビューローは1894年に亡くなったので、残念ながら、その録音は遺っていない。
オーケストラが演奏する曲の録音は1920年代から始まる。この時代はレコード(後に「SP盤」と呼ばれるのも)も再生する機械も高価だったので、一部の富裕層しか聴けなかった。クラシック音楽が一般家庭でも聴けるようになるのは、ラジオが普及する1930年代からになる。
 そのラジオ時代のスター指揮者が、イタリア人ながらアメリカで活躍したアルトゥーロ・トスカニーニである。1867年に生まれ、2つの世界大戦を生き抜いて、1954年に引退、57年に亡くなった。長寿だったので映像も遺っている。
 本書は、このトスカニーニから、21世紀初頭までに活躍した無数の指揮者のなかから10人を選び、その略伝を記したものだ。
 10人を選ぶのはかなり無謀で、誰もが納得する人選など不可能である。時代ごとに音楽界も変化する。さまざまな国がある。そこで各国ごとにひとりとか、10年代ごとにひとりを選ぶなど、地域・時代のバランスをとることを考えた。しかし、厳密にその基準で選ぶと、かえって歪むので、国別・時代別は考慮しつつも条件とはしないことにした。
 クラシック音楽、とくに「交響曲」はドイツで発展した。「名指揮者」と言えば、ベルリン・フィルハーモニーの歴代首席指揮者を外せない。そこで、ベルリン・フィルハーモニー中心史観で書くことにした。この楽団に首席指揮者であるフルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルの4人がここに入る(フルトヴェングラーの前任者のニキシュは録音が数点しか遺っていないので、外した)。
 一方、ビューローの影響を受けた指揮者としてマーラーがいる。この系譜にいるのが、ワルターだ。また、マーラーはニューヨーク・フイルハーモニックの指揮者として生涯を終えたが、このアメリカのトップオーケストラの音楽監督も大指揮者の系譜になり、トスカニーニ、ワルター、バーンスタインがここに属す。
 これで7人になった。国別では、ドイツ(ワルター、フルトベングラー)、オーストリア(カラヤン)、イタリア(トスカニーニ、アバト)、アメリカ(バーンスタイン)、イギリス(ラトル)、となったので、のこった3人はロシア(ソ連)のムラヴィンスキー、フランスのミュンシュ、日本の小澤とした。小澤はカラヤン、バーンスタイン、ミュンシュの3つの系譜にも属す。
 結果として生年でも偏りがなくなった。最初が1867年生まれのトスカニーニで、76年のワルター、86年のフルトヴェングラー、91年のミュンシュ、1906年のムソログスキー、08年のカラヤン、18年のバーンスタイン、20年代生まれはなく、33年のアバド、35年の小澤、40年代がなく、最後のラトルは55年生まれとなる。20年代・40年代も大指揮者が生まれているので、悩むところだったが、国別とベルリン・フィルハーモニーの系譜を優先させた。
 通して読めば、20世紀の音楽界の流れと、世界各国の事情も把握できるようにしたつもりである。
 本書は、「同じ曲でも指揮者によって違うのか」といった演奏比較を目的とした本ではない。
 そもそも違うのが当たり前である。指揮者は活動期間が長いので、若い頃と晩年とでも異なる。極端に言えば、一日違っても、演奏は異なる。昔は、ひとりの指揮者のひとつの曲レコードが1枚しかなかったので、それぞれの盤を聞き比べれば、その特徴が分かった気になり、「名盤名演」信仰が生まれた。その背景にはサラリーマンの月給が1万円なのに1枚のLPレコードが3千円もしたという経済事情があった。
1枚のレコードを買うのには重大決心が必要で、事前に情報を集め、自分に合う演奏、世評の高い演奏は何かを吟味した上で買っていたので、「名盤選び」の必要があったのだ。
 しかし、ネットの時代のいまは、検索すればたいがいの演奏家の曲がすぐに見つかり、タダで聞くことができる。それがいいのか悪いのかは別として、かつてのような、「この曲はこの人の演奏」「この指揮者ならこの曲」という名曲名盤選びは必要なくなった。
 この本では、演奏比較、その特色の解説といった観点ではなく、その指揮者のどのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語を提示する。
 指揮者ごとの列伝なので、それぞれの章は独立しており、興味ある人物から読んでいただいてかまわないが、それぞれの物語にほかの指揮者が脇役として登場することも多いので、第1章から順に読んでいただいたほうが、わかりやすいと思う。

****** あとがき ******

 10人のうち、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー、カラヤンの4人は、好き嫌いは別として、「十大指揮者」の一人とするのに異論のある人はいないと思う。あと6人も、トップ50には入ると思う。そのなかから、選んだつもりだ。
 10人は師弟、先輩、後輩、友人、ライバルなど何らかの関係があるが、ムラヴィンスキーだけは、他の指揮者と関係がない。群れようとしない当人の気質もあるだろうが、ソ連という閉ざされた国に生きていたからだ。

 最初の3人、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの物語は、1つの大きな物語を異なる角度から見たものである。彼らは地球を西に東に、ときには南半球にまで移動していたが、20世紀前半までの「音楽界」は狭い世界で、みな「知り合い」だった。それゆえ、濃い人間関係がそこにある。
 20世紀前半の時点で、クラシック音楽はとっくに商業科されていたが、それでもまだ、芸術の面が強く、彼らは偉大な芸術家として社会からリスペクトされ、偉大な人物として振る舞うことも期待された。それゆえ、ときの権力者からも利用、あるいは敵視された。
 20世紀の3大発明と言っていい航空機、放送、レコードは世紀の前半に実用化が始まり、戦争にも利用され、第二次世界大戦に飛躍的に発達した。この三大発明は音楽界をも変え、「クラシック音楽」は時間と空間を飛び越えて拡散した。音楽家はヨーロッパとアメリカ、アジアを飛びまわり、レコードによって「過去の名演」を家庭で聴けるようになった。
 衣食住が満ち足りた先進国では、1960年代に大衆教養主義時代を迎え、クラシックは必須アイテムとなった。この時代の象徴がカラヤンであり、バーンスタインだ。
 しかし東西冷戦が終結すると、なぜか大衆教養主義も終焉し、クラシック音楽の知識は社会人としての必須アイテムではなくなった。
 1960年代・70年代は「カラヤン」という名を知らないのは社会人として恥ずかしいことだったが、21世紀初頭、「アバド」「ラトル」を知っているのは、「変わった趣味の人」になってしまった。
「世界的指揮者」はいまも何人もいて、音楽の世界への影響力はあったとしても、世の中全体を動かすことはない。いまの芸術家には、トスカニーニやワルター、フルトヴェングラーが直面したような危機はなく、苦悩もない。それはそれでいいことなのかもしれない。

 「十大指揮者」を書くことになり、10人は決まったものの、さて、どういうことを書こうかと、明確な方針というかテーマを見いだせないまま、何人か書いたところで、編集者の菊池悟氏が「まさに人間交差点ですね」との感想をメールでくれ、ああ、そうだったのかと分かり、以後は書きやすくなった。
「相互に関連する著名な人物たちの列伝」が、結果とし、この本のコンセプトとなった。

 バーンスタインまでの7人については、これまで何冊かの本に書いてきた。『世界の10大オーケストラ』『戦争交響楽―――音楽家たちの第二次世界大戦』『冷戦とクラシック―――音楽家たちの知られざる戦い』『カラヤンとフルトヴェングラー』『カラヤン帝国興亡史』など、興味ある方は、手にしていただけると、ありがたい。

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 選択された10人の指揮者のそれぞれの項において、演奏比較、その特色の解説といった観点ではなく、その指揮者のどのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語を取り上げられ提示されているが、各章 作曲者ごとの冒頭で書かれた“頭書”を取り上げてみた。
 指揮者ごとの列伝なので、それぞれの章は独立しており、興味ある人物から読んでもかまわないが、それぞれの物語にほかの指揮者が脇役として登場することも多いので、第1章から順に読むほうが、わかりやすい。

第1章 「自由の闘士」アルトゥーロ・トスカニーニ
 トスカニーニが遺した録音はCDにして100枚近くあり、また演奏会を収録した映像もDVDで5枚ある。19世紀半ばに生まれた指揮者としては、驚異的な数だ。
これだけ多くの録音・録画が遺っているのは、なによりもトスカニーニが新技術に興味を持つ、革新性のある人だったからだ。音楽家の中には20世紀の終わりになっても「私の音楽は、円盤に収まるものではない」と録音を拒否する人もいたのだから、高齢で巨匠中の巨匠になっても、新しいメディアに自分の音楽を載せることをためらわなかったトスカニーニの進取の精神には驚嘆する。
 メディアへの対応だけではない。トスカニーニが現代のオペラ上演のスタイルを確立した人でもある。そしてまた、圧政に抵抗し、自由のために戦い抜いた闘士でもあった。

第2章 「故国喪失者」ブルーノ・ワルター
 「3大指揮者」といえば、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーという時代があった。みな19世紀に生まれ、2つの世界大戦を生き抜いてきた。ワルターはトスカニーニの9歳下、フルトヴェングラーの10歳上と、ちょうど2人の中間の年齢だ。そしてトスカニーニはファシズムと闘い、フルトヴェングラーはナチスに同調と、2人の生き方は対照的だが、ワルターは最も過酷な運命にあったのに、耐えていたせいか印象が薄い。年来も性格、生き方も強烈な2人の間に立っている。
 ワルターは温厚な性格で、音楽にも極端なところがないとされる。だが、本当にそうなのだろうか。モーツアルトの第1人者ともされるが、これも一面に過ぎない。彼の生涯はマーラーの音楽とともにあったのだ。

第3章 「第三帝国の指揮者」ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
 日本のクラシック音楽フアンや評論家による指揮者ベストテンのアンケートで、必ずトップになるのが、フルトヴェングラーだ。ドイツ音楽の最高の解釈者として、その名は轟いている。この世代の指揮者としては録音も多く遺っている。
 だが、彼の生涯はナチスという20世紀最大の悪と密接な関係を持つ。ドイツ音楽の象徴であるフルトヴェングラーは、ドイツの闇の象徴でもある。

第4章 「パリのドイツ人、ボストンのフランス人」シャルル・ミュンシュ
 シャルル・ミュンシュはアメリカで活躍したドイツ系フランス人という。欧米人ならではの多国籍な人物だ。
 この人もまた、歴史の渦に振り回された生涯を送った。

第5章 「孤高の人」エフゲニー・ムラヴィンスキー
 現在では、ひとりの指揮者がひとつの楽団の音楽監督・首席指揮者になっても、長くても10年くらいで退任するが、かつては「終身」の指揮者もいた。そのなかでも、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニーほど長く続いた指揮者と楽団はないだろう。なにしろ、50年にわたるのだ。
 ムラヴィンスキーは、作曲家ショスタコーヴィチと共に歩んだ指揮者でもあった。

第6章 「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン
 20世紀後半の日本で、最も有名な指揮者がカラヤンだった。「フルトヴェングラー」などと比べて日本人にとって発音しやすい名前なのも、高い知名度の理由の1つだった。
 しかし何よりも、1954年以来、何度も来日し、その演奏会がテレビで中継されたことが、カラヤンの名と顔が知られていた最大の理由だろう。1960・70年代は欧米の楽団が来日することが事件であり、空港に着いた事がニュースで報じられ、その演奏会はテレビで中継されたのだ(BSもない時代、いまでいう地上波のゴールデンタイムの番組として)。
 「史上最もレコードを売った男」とも言われるカラヤンは、それゆえにクラシック・フアンの一部からは「通俗だ」「表面的な美しさ」「底が浅い」と蔑視されてもいた。カラヤンを批判するのが「音楽が分かっていた証拠」とされた時期もあった。
 ナチス党員だった過去、自家用ジェット機を自ら操縦して世界を飛びまわるライフスタイル、フランスのトップ・ファッション・モデルだった美貌な妻を持つ私生活を含め、有名であるがゆえに、カラヤンほど毀誉褒貶(きよほうへん)さまざまな指揮者もいない。

第7章 「スーパースター」レナード・バーンスタイン
 19世紀半ばまでは大半の作曲家は演奏家でもあった。ショパンやリストはピアニストとしてメンデルスゾーンやシューマンは指揮者としても活躍した。やがて、作曲しない演奏家が登場し、作曲と演奏とは分離した。
 そんな20世紀後半にあって、希有な人が、レナード・バーンスタインだった。
 バーンスタインは、アメリカのスーパースターのひとりでもあった。

第8章 「無欲にして全てを得た人」クラウディオ・アバド
 1930年代生まれの名指揮者は多い。そのなかでクラウディオ・アバドを選んだのは、ベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者だったからにほかならない。では、その地位に就いていなかったら、彼は大指揮者ではないのかというと、そうでもない。
 ミラノのスカラ座、ウイーン国立歌劇場、ロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団というトップクラスの歌劇場と楽団で常任ポストにあったマエストロの中のマエストロなのだ。

第9章 「冒険者」小澤征爾
日本で最も有名なクラシックの音楽家であり、世界で最も有名な日本人のひとり………小澤征爾はそういう存在だ。
 小澤の生涯は戦後日本のサクセス・ストーリーの象徴でもある。戦後全てを喪ったところからのスタート、師との出会い、冒険、強運、挫折、再起、さらなる成功。
 スポーツ選手であれば40歳前後で引退し、あとは指導者、管理者、あるいは業界利益代表者となって、老害という道を歩むが、音楽家、とくに指揮者は高齢になればなるほどその芸術は高まるとされる。だから、80歳を超えても小澤征爾は現役だ。

第10章 「革新者」サイモン・ラトル
 最後に登場するのは、イギリス人のサイモン・ラトルである。
 かつて世界を支配していた大英帝国は、富が集積し、早くから音楽興業が盛んな国だ。しかし音楽史上、偉大な作曲家、偉大な演奏家の少ない国でもある。
 イギリスが生んだ最大の音楽家は、おそらくザ・ビートルズであり、偶然なのか、サイモン・ラトルもあの4人組と同じリバヴプールの出身だ。
 戦後が終わり10年が過ぎた頃に生まれ、イギリスという政党間の政権交代はあっても革命などの大きな変化はない国で育ち、冷戦が終わる前後から第一戦で活躍した世代なので、「歴史の波に翻弄される人生」ではないので、その生涯には、トスカニーニやフルトヴェングラーたちの様な歴史と連動する大きな物語はない。

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