★新大東亜戦争肯定論★

著者;橋本琴絵
2025年8月5日 第2刷
¥1,870
若き母が「日本人を復活させたい」一心で書いた心ゆさぶる名著!
「私は今、6人の子供を育てています。
あの日、空に散り、海に漬かり、山で草むし、沼に沈み、
川に流され、野に斃れた230万の息子と娘たちは、
何のためにその尊き命を捧げられたのでしょうか。
それを私はこの本で書きたかったのです」(橋本琴絵)
「戦前世代が日本社会から消えかかった途端に日本は落ちぶれ始めました。
これは偶然ではなく必然だと思います。
歪んだ歴史認識は民族を消滅させかねません。
本書はあの戦争によって幾多の命を失ったのみならず、
心まで失った私たち日本人を復活させたい一心で書きました」
(著者)
【戦争目的を達成した日本】
日本は戦争で大惨禍を被り、領土も市場も失った。
しかし戦前植民地だらけだった世界地図は、
戦後独立国に様変わりし、人種差別も悪となし得た。
<目次>
第1部 自衛権の行使だった大東亜戦争
1章 大東亜戦争はの激流
~~幣原外交から芽生えた政治不信~~
‥‥‥‥独自の海外市場を持たなかった大日本帝国
‥‥‥‥日本近代化の推移
‥‥‥‥軍部が政治を担当するようになった理由(民政党の失敗)
‥‥‥‥逆に戦争を誘発した幣原「協調外交」
‥‥‥‥奉直戦争
‥‥‥‥郭松齢事件
‥‥‥‥南京事件(1927年3月)
‥‥‥‥三菱財閥の姿勢
2章 経済失政から芽生えた政党不信
‥‥‥‥金融恐慌を引き起こした政党
‥‥‥‥日本経済を徹底的に破壊した井上準之助大蔵大臣
‥‥‥‥当時の円とドルの仕組み
‥‥‥‥金本位制と不景気
‥‥‥‥通貨収縮
‥‥‥‥新平価の金解禁輸
‥‥‥‥金解禁と世界大恐慌
‥‥‥‥民政党内閣のその後(スムート・ホーリー法の牙)
3章 敵としてのアメリカ登場
‥‥‥‥高橋是清大蔵大臣の魔法
‥‥‥‥イギリスの悪意~オタワ会議
‥‥‥‥五・一五事件で犬養首相が打たれ殺された理由
‥‥‥‥満州を狙うアメリカの欲望
‥‥‥‥張作霖とアメリカ資本
‥‥‥‥非武装地帯と平和の確保
‥‥‥‥国民の命を守るには各国とも軍隊が必要だった
‥‥‥‥目を覆う通州虐殺事件
‥‥‥‥ドイツと中国の蜜月
‥‥‥‥南京への道~陸戦条約を守らなかった中国軍
‥‥‥‥山東出兵への流れ
‥‥‥‥支那事変への流れ
4章 アメリカと中国の性根の悪さ
‥‥‥‥性根の悪い民主党と自分のことしか考えない共和党
‥‥‥‥支那及び満州市場を獲得するための米民主党の動き
‥‥‥‥露骨な日本叩き
‥‥‥‥自衛戦争への序曲
‥‥‥‥日米開戦への流れ
第2部 日本は戦争目的を達成している
5章 正義の執行たる大東亜戦争
‥‥‥‥戦争の種類と勝利の定義
‥‥‥‥アメリカの戦争目的とは
‥‥‥‥日本の戦争目的とは
‥‥‥‥大東亜宣言
‥‥‥‥併合と植民地の差違
‥‥‥‥人種差別の実態
‥‥‥‥有色人種差別はいかに悪質だったか
‥‥‥‥黄禍論の予先
‥‥‥‥国際連盟も人種差別に無力だった
‥‥‥‥日本に差別はあったか
‥‥‥‥大東亜戦争への熱意
6章 アジア独立の力となった日本軍将兵
‥‥‥‥大東亜戦争とアジアの人々
‥‥‥‥蒼き海原に浮かぶ日章旗
‥‥‥‥有色人種解放の最後の機会だった
第3部 「正しい歴史認識」が日本人を覚醒させる
7章 欧米による人種差別からの解放戦争
‥‥‥‥侵略という側面の解説
‥‥‥‥大局を見て大いに語ろう
‥‥‥‥反日教育の目的は「日本人の心の破壊」
‥‥‥‥歴史認識こそ日本人のエトスに深く関係している
‥‥‥‥なぜ日本人は高い公共心を育めたのか
∞∞∞ 本文より一部掲載 ∞∞∞
7章 欧米による人種差別からの解放戦争
‥‥‥‥侵略という側面の解説 から
⇒⇒ 後述〔抜粋〕
==== はじめに ====
私には1人の大叔父がいました。合ったことはありません。19歳で中型爆撃機「銀河」を天皇陛下からお預かりし、そのパイロットとして、航空魚雷を積み込み、フィリピンで戦う友軍を支援するため、台湾の飛行場から飛び立ちました。目指すは、アメリカ機動艦隊です。
このとき、フィリピンのレイテ島で戦う「同じ日本人」は、日本の輸送艦隊が沈められたため、食べ物もなく、弾薬もなく、医薬品もなく、大変な状況でした。そこで、日本陸海軍が合同してレイテ島西岸オルモックは食料等を輸送する「他号作戦」が発動されました。大叔父は、その支援のため、アメリカ艦隊を攻撃し、日本の輸送艦隊の任務を成功させる目的がありました。
「銀河」は当時最新型の飛行機でした。時速500キロ近い速さで海面スレスレを飛び、米艦隊から苛烈な対空射撃の銃弾をジグザグ飛行で交わして接近し、魚雷を海に落としました。いったん深度50メートルまで沈んだ魚雷はすぐに浮上し、アメリカ艦を目指して直進します。そこで、「銀河」はアメリカ艦の頭上を飛び去ります。
「当たったか?」
おそらく、大叔父と二人の戦友(偵察員と通信員)は振り返ったことでしょう。当たればアメリカ艦のそばに大きな水柱が立つはずです。この「敵艦の頭上を飛び去る瞬間」が実は最も危険なのです。何しろ頭上ですから、艦上からの対空射撃を近距離で受けます。そして、銀河が飛び去った後も、今度は後ろから水平射撃を受けます。そこで、「銀河」は無数の砲弾銃弾を浴び、海に落ち、大叔父たちは水漬く屍となり、大君の辺に馳せ参じ悠久の大義に生きることとなりました。
こうして、19才の生涯を終え靖国のご祭神となったのです。
ところで私は今、6人の子供を育てています。出産がどれほど痛いか、深夜も寝ることが出来ない育児がどれほどの思いか、科学文明が進歩して様々な利器がある現代でさえ大変なのです。ましてや昭和初期の生活水準では、母親たちは必死の思いで子育てをしたと思います。その我が子が、中学を卒業後、予科練(パイロット養成学校)に入り、訓練をうけ、晴れて一人前となったとき、母親はさぞ嬉しかったことでしょう。そして、戦死の報を受けた時、どう思ったのでしょうか。祖祖母は私が生まれる前に亡くなっているため直接話を聞くことは出来なかったのですが、親族からこのように伝え聞いています。
「息子が戦死したときは悲しくなかった。なぜならば、息子の部隊の攻撃によって米軽巡洋艦を大破させたと聞き、あの子の命を糧として、人種差別を是とする国際基準が変わり、新しく平和で平等な世界が実現されることを信じていたからだ。しかし、敗戦の事実は、必勝を信じて捧げた息子の命が、報われることなく海の藻屑と消えたことを確定させました。戦争に負けた事実は、息子の命の意義を綿毛のような軽いものに変えてしまい、戦死の報告を受けたときに泣かなかった私に、玉音放送と共に鮮明化された息子の死の悲しみがたちまち襲いかかってきたのです」
私はこの話を伝え聞いて、今、私が生きている日本を見渡しました。
「これが先人たちが命を賭して守った日本か」と思いました。
あの日、空に散り、海に漬かり、山で草むし、沼に沈み、川に流され、野に斃れた230万人の息子と娘たちは、何のためにその尊き命を捧げられたのでしょうか。
「このままではいけない」と宿命を感じ、改めて大東亜戦争の意義を再定義する必要を覚えました。。
なぜならば、この戦争を境目にして「日本」という国の歴史的連続性が分断されていると考えたからです。あの戦争で散華された300万英霊の命を使って、私たち日本人は何を得たのか。それを今この時代だからこそ再定義する必要があります。今の今までは、あの戦争に殉じた大義が歴史に埋没し、戦争をしてまで変えなければならなかった理由は何だったのか、現代では理解されていません。息子たちの一死報国によって世界はどうなったのか。
そこで本書は、一方的かつ表層的にしか教育されていない歴史的事実に焦点を当て、あの戦争が何故起きたのか、そしてどのような意義があったのか、令和の今だからこそ再定義し、もって国民の精神を戦後体制から革新したくしたためました。
戦後ながらく「大東亜戦争は解放だったのか、侵略だったのか」という問題が論議されてきましたが、それは受けた側の判断によります。つまり、認識の主体が東亜侵略を五百年続けて私たち日本人を含む(秀吉為政下)数多のアジア人を奴隷として使役した白人側の認識を採用すべきか、それともアジア人側の視点を採用すべきか、という問題があります。
たとえ、現地のアジア人を露骨に搾取し、時折逃げまとうアジア人をレクリエーションのかわりに射殺して白人たちが遊んでいたとしても、植民地を奪われた白人たちにとって日本の行為は「侵略」と認識されます。オランダなどを見てもわかりますが、天皇訪蘭の際には、自分たちの凄惨な植民地支配を棚に上げ、彼らは恥ずかしげもなく戦争中に被った自分たちの損害のみを主張しました。2020年にオランダ国王がインドネシアについて謝罪声明を発表しましたが、それはあくまで「再植民地化を目的に戦争を仕掛けた」ことのみの謝罪であり、約350年にわたる凄惨な植民地支配については一言も謝罪しませんでした。けれども、この認識を現在の私たち日本人も共有すべきなのでしょうか。
大東亜戦争を客観的に見た場合、この戦争が解放であったか、侵略であったかという受けて側の認識がある一方、大東亜戦争は侵略であったか、自衛であったかという認識もあります。その認識は大東亜戦争を実行した当事者、つまり、私たち日本人によって決定されることであり、そこに外部が関与する余地はありません。受け手側ではなく実行した側の認識なのですから、侵略か自衛かはすべて私たちの心次第です。
けれども、当事者である私たちの間でも、襲ってきた人物をはね除けた件を後になってから検証するとき、「実は道を開こうとしただけだった」と混乱し、しまいには「私は加害者です」と後悔しなければならない状態になっています。これではおかしい。
正しく認識してこれを防ぐには、「相手は自分を襲ってきた」と、私たちがしっかりと前後関係を理解する必要性があります。この理解が出来ないままでいると、自分自身に負い目を感じながら生きるという、極めて不健全な精神状態で人生を過ごすことになります。
この不健全な認識は単に歴史観の次元にとどまらず、さまざまな分野へと多岐にわたって影響していくから恐ろしい。すなわち、歴史に誇りを持てないことから、歴史によって構成された社会への帰属意識が希薄になり、社会を乱す行為を容易に行い、あるいは歴史に負い目を持つことにより、歴史を継続させることに嫌悪感を覚え、歴史によって構成された社会を発展させようという能動的意欲の減衰を起こしてしまいます。
事実、戦前に教育を受けた人たちが日本社会の第一線から退いた平成になってから、日本経済は低迷を続けました。経済のみならず教育、政治、全てが退廃的になってきているように思えてなりません。母親が子供を殺し、子供が親を殺し、全体の奉仕者である公務員や議員は私利私欲のため公権力を振りかざし、かつての公正な日本は失われつつあります。
敗戦後の焼け野原から日本が高度成長した背景には「日本は神国である」「日本は絶対に強い」「日本は正しい」という確固たる教育を戦前に受け、自尊心と自信に満ちあふれていた強い心を備えた世代がいました。戦後復旧はこの人達によって達成された偉業です。
多くの誤解があるようですが、高度経済成長は戦後に生まれた団塊の世代が成し遂げたことではありません。全て戦前に教育を受けた世代によるものです。
この戦前世代が日本社会から消えかかった途端に、日本が落ちぶれはじめていることは、偶然ではなく必然だと思います。心に自信を持てない、心を病んだ人々によって更生された社会は健全であるはずはありません。私自信、敗戦屈辱の戦後民主主義教育を受けて育ちました。日本人であることに罪悪感を覚えさせられ、父祖らが強姦魔であり殺人鬼であるという教育を12年間以上受け続けたのです。このようにして心に自信を持てない教育を受けた戦後世代は、日本社会の主導権が変わった平成の世になると社会は一層混乱に拍車がかかりました。
本書の特徴
本書はこのような現状を打破するため、次の新しい世代、すなわち若き諸君は「正しい歴史認識」を提供することにより「健全な心」の形成を促進し、この心を持つ人材へと成長することで「健全な社会」を構成してくれれば、という願いを込めて書き綴ったものです。
昨今出されている多くの大東亜戦争関連本と本書が違うところは、第一に大東亜戦争の正当性を歴史的事実の列挙ではなく「良心」に訴えかけている点です。前後関係を把握せずに「戦争に負けた」という結果だけみても公平な評価は出来ません。
今までの大東亜戦争関連本は「こうした事実があるからこの認識が正しい」という表面上の知識だけを提供するものでした。知識だけ提供されても、読み手にはさまざまな考え方があるのですから、それまで経験したことから形成された倫理観や正義感とは必ずしも一致するものではありません。読み手側の心に「日本はとにかく正しい」という先入観と思い入れがない限り、歴史に対する負い目の気持ちが消えることは難しいというのが実情でした。
例えば「南京大虐殺は小規模だった」という事実が部分的に証明されたとしても、「けれど、そもそも日本軍は中国の土地に軍隊を送っているじゃないか」という考え方をもっている人にとっては、「大日本帝国は正しかった」と心から思うことはできません。やはり、心のどこかに引っかかる「後悔」や「反省」といった附の認識が存在します。ですから、胸を張って「大日本帝国は絶対に正しかった」といえずに、歯がゆいおもいをしていると思います。事実、私もそうでした。
これは「中国に日本の軍隊を置いていた」という部分だけを見るから、「悪いことだ」と感じるのではないかと思います。では、ちょっと事実を詳細に分解してみましょう。
最初に「中国に日本の企業がいた」という事実は、果たして悪いと思えるでしょうか。
現在、日本企業だけではなく世界各国の企業が中国を「世界の工場」として進出しており、多くの事務所や工場を経営し、多くの中国人を雇用して賃金を与え、生活の保障と生活水準の向上に大きく貢献しています。中国政府もその状況を「望ましい」としているからこそ、外国企業に対して工場建設の許可を与えています。この状況を「悪い」と言う人は恐らく少ないでしょう。賃金と雇用を確保できる中国人にとっても、また安い賃金で安い製品をつくれる企業にとっても、両者が満足できる関係にあるのですから。
さてしかし、そこでもしも一部の中国人が銃器や刃物で武装し、中国にある外国の工場を襲撃し、金品強奪を行い始めたらどうでしょうか。ちゃんと条約を締結して契約をしていたのに、日本人の財産を破壊したらどう思うでしょうか。そればかりか中国人に暴虐の
限りを尽くされ惨殺され、なおかつ多くの遺体が凌辱されたらどう感じるでしょうか。それに対して、中国の警察が「今後はこういうことがないように守ってやる」といえば問題はありませんが、「そんなの知らないよ」と言われたら、どうでしょうか。あるいは中国の警察自体が強盗をし出したらどうなるでしょうか。企業が安心して働くことができなくなります。かといって、工場の建設には多くの先行投資をしているのですから、借金を抱えて本国に帰ることもできず、海外駐在する社員の命も危険にさらされ、八方ふさがりになります。
こうなれば当然、次の襲撃に備えて企業は「警備員」を雇うことになります。けれども、警備員は警棒程度しかもっていないので、銃器を持った中国人の襲撃を防げません。このような状況があるからこそ、次は「安心して経済活動ができるように」となり、本国の警察を呼ぶことになります。さらに銃器を持った犯罪者に乱暴をさせないために武装した集団、つまり、この段階になって始めて軍隊が必要になってきます。
ここで「軍隊などなくてもいいじゃないか」と思うことは、「中国で働く外国人のサラリーマンは別に殺されてもいいじゃないか」と思う人以外にはあり得ないでしょう。実際、2024年9月には、中国で日本人児童がただ「日本人」であるという属性を理由に殺害され、「かえし」のあるナイフで腹部を執拗に刺され内蔵をひきだされました。戦前の中国ではこうしたことが多く起きました。許せるでしょうか?当然、多くの人たちは、そのようなことは許しません。今の感覚からすると理解し難いですか、大日本帝国当時の国民世論が軍の行動を支持した理由もここにあります。
このように「軍隊がいた」という一部だけを抜粋して見て、現在の価値観に照らし合わせるからこそ「悪い」と思うのであり、「なぜ軍隊が必要になってきたのか?」という流れを総合的に考えれば、「悪い」と思う人はとても少なくなると思います。本書はこのような形式で解説を進めていきます。
第二に、本書はこれまで巷に溢れる大東亜戦争関連本のように、当時の世界状況を「歴史的事実の視点」のみで語るのではなく、経済的事実の視点と複合的に記述する形式をとっています。
祖父たちの時代は戦争や軍閥、物質的困窮といった、現在にはない事実が溢れていましたので、今の私たちが祖父たちの時代背景を理解するためには、今現在も使われている言葉、今の時代でも理解できる概念を用いて説明する必要が生じます。
例えば、燃料が無くなれば軍艦や飛行機が動かなくなって戦争ができなくなると言われても、私たちは戦争を知りませんから、今ひとつ実感がわかず、その実害がどれほどの規模なのか理解できません。
けれども、化石燃料がなくなって火力発電所が動かなくなり、現在使っている電力も6割以上なくなってしまったといえば、停電の時の体験を想い出し、あれが毎日続くとしたらどんな不都合が生じるのだろうか、とその辛さを想像し実感することができます。本書はこのような置き換え作業に努めました。
本書を読み終えれば「大日本帝国こそ世界に凛たる国家」と胸を張って、自分の良心そして倫理観から言えるようになるのではないかと思います。反対に「日本は侵略をした」などと言う日本人に対して「日本人の良心がないのか?」と疑問を感じるようになると思います。なぜなら「停電状態」から波及するさまざまな経済的損害によって日本人が苦しんでいても、同じ日本人でありながら、平然とその光景を傍観し、なおかつ批判しているような模様を示していると言えるからです。同胞への無関心、共感能力無き無慈悲ほど非情さを感じさせるものはありません。
本書は歴史の真実を発掘することで、日本人の存在意義の再定義を目的に書かれています。現在の日本には自衛隊のように物理的(形面下)な防衛を担当する組織はあっても、
アメリカやイギリスのように「形面上」すなわち国民の精神的領域を防衛する組織がありません。このため、国を守るという意思そのものの源泉となる「存在意義」が揺らいだ特、日本という国はたちまち崩壊してしまうことでしょう。国家とは、眼に見えたり耳に聞こえたり手に取れるものだけでなく、あくまで国民の精神によって維持されているのです。何が領土なのかを定義するのも精神であり、誰が国民かを定義するのも精神です。つまり、精神の弱体化や異変を放置すれば、何が領土で誰が国民なのかの定義があいまいとなります。それは、実際にいま起きていることです。その根本的原因は、歴史認識に由来する私たちの存在意義がその形を保てなくなっていることです。
本書は、あの戦争によって多数の命を失ったのみならす、心を失った私たち日本人を復活させたい一心で書き綴りました。日本復活の機会は、もう今しかないのです。
◇◇◇ 本文より掲載 ◇◇◇
7章 欧米による人種差別からの解放戦争
‥‥‥‥侵略という側面の解説 〔抜粋〕
大日本帝国が、人種差別からアジアを解放したのだと主張すると、必ず文句をつけてくる人たちがいます。「日本はアジアを侵略したのだ」と。
ではなぜ、日本が侵略したことにしなければならないのでしょうか。その目的は、新たな侵略戦争の正当化にあります。
実は、二十世紀末には「レイブオブナンキン」という本が欧米で出版されました。日本兵は処女の陰毛を信仰しているため、現地の若い女性の子宮を銃剣で切り取ったなどという本が出され、日本軍によるアジア人虐殺はナチスドイツによるユダヤ人虐殺を上回る規模であったとする虚偽の描写がなされています。このように、通州事件などで日本人女性が受けた性被害を日本軍が加害したように逆転させて記述し、日本人への憎悪をあおる目的はどこにあるのでしょうか。それは、これからする犯罪の正当化のためです。
突然戦争をしたいと国家来上層部が主張しても民心はついてきません。しかし、何十年も国民に対してまた世界に対して「日本人は人間ではない」という印象を定着させれば、これから未来に日本人を大量虐殺して、日本列島を太平洋進出の浮沈空母としても、その行為は前項として評価される恐れがあります。これこそが、「日本は侵略国だ」という歴史修正主義の最終目的なのです。過去の罪を捏造し、未来にする犯罪を肯定する世論形成をすることこそが歴史戦です。つまり、日本人が過去のお詫びをするということは同時に、「妊婦に拳銃を突き刺して胎児を掻きだす」といった行為を今後私たちがされることへの同意を意味するのです。実際、在日中国人が自動車事故で日本人児童を殺傷すると、中国インターネットでは賞賛の声が無数あります。歴史修正による反日教育は、すでに日本人大量虐殺を待ち望む十億の人民を作り出しているのです。
だからこそ、私たち日本人は一歩も退いてはならないのです。
日本の歴史に恥じるべき点は毫(ごう)もありません。そこで改めて「侵略」という概念について検討を加えたいと思います。
欧米諸国にとっては、自分ちの植民地を奪われ、家畜扱いしていたアジア人を全て対等な人間にされてしまったのですから、侵略以外の何者でもないでしょう。しかし、アジア人も欧米人と同じ観点から歴史を見ているとは限りません。まさか、今後数百年も家畜として扱われた方が幸せだった、と思う人はいません。
主に「日本はアジアを侵略した」と主張する勢力が、その根拠として挙げるものは、昭和16年12月20日に大本営政府連絡会議で決定された「南方占領地行政実施要領」や、昭和 16年12月26日に閣議決定された「大東亜政略指導大綱」などです。
これらの中には、化石燃料の産出地域を「現地の人たちを政治に参加させつつも、帝国領土と決定する」と明記している部分があります。
しかし、ここで注意したいのは、日本が戦争目的として主張していることは、欧米による「アジア植民地支配」からの解放ではなく、欧米による「人種差別」からの解放です。つまり、日本の領土とは、本国と同じ国民として扱うことですたら、日本本土に移住すれば日本の参政権を与えられますし、その気になれば国会議員にもなれます。学識と教養があれば、どのような高級官僚にも就くことができます。これは、平等に、日本国民としての扱いをするということです。しかし、欧米の植民地人は家畜扱いであり、本国人と同様にという以前の問題で、人間としてさえ扱ってくれません。
欧米の軍事力に対抗できる力を持たないまま自立すれば再植民地化されるのは自明の理です。なればこそ、日本の保護下においてこそ人種差別を撤廃する目的が果たせましょう。
大東亜宣言にて戦争目的及び戦争理由としている「大東亜を米英の桎梏(しっこく)より解放」という箇所における「桎梏」とは、アジア人に対する人種差別であり、この邪悪な差別をアジアないし地球上から一掃するためには戦争が必要であったという意味です。従って、「人種差別の解放」と解釈を広げれば、朝鮮と台湾の事実から、矛盾点が生じて説得力がなくなり「帝国領土とする、と言っているではないか」とケチをつけることも可能となってきます。これが反日勢力の理屈です。
――― 以下略 ―――