☆☆ 邪馬台国は 存在しなかった ☆☆

~~ 『魏志倭人伝』を疑う ~~      

   

  




    著者  田中英道 著            
1942年2月20日生      


2019年1月7日     初版発行
2021年9月1日 初版第2刷発行

  制作    (株)勉誠社   
発売  勉誠出版(株)
  ¥1,000  
          歴史家、美術史家、東大文学部卒、
          東北大学名誉教授、
          ストラスブール大学Phd、
          ローマ大学・ボローニャ大学客員教授。 



   

 


  『魏志倭人伝』を疑う。                          
  『魏志倭人伝』にしか登場しない              
                       「卑弥呼」・「邪馬台国」。

  なぜ「卑弥呼神社」は存在しないのか?    
「魏志倭人伝」はどのように書かれたのか?



戦後最大の未解決問題に決着をつける!

「邪馬台国」論争は、日本の歴史の根幹は
天皇であることを否定するための論争で
あり、この論争のケリをつけない限り、
だれが見ても明らかな、日本の歴史を
無視する「歴史認識」が続くことに
なります。
何世紀にもわたって繰り返されている
不毛な「邪馬台国」論争をこのままにして
おくことは、日本の歴史家の不見識を、
世界に示し続けることになります。
                              (本文より)



      ――― 目次 ―――


第一章 学者はなぜ「邪馬台国」と「卑弥呼」の蔑称を好むのか
・「邪馬台国」も「卑弥呼」も『魏志倭人伝』にしか出てこない
・『魏志倭人伝』は『三国志』の一部分
・「邪馬台国」論争は、日本の歴史家の国際的な、学問的レベルの問題
・蔑称であることは当然知っているはずの学者たち
・日本は百済の植民地だったという説
・『魏志』に書かれている韓国
・解釈のバリエーションに過ぎない論争
・「邪馬台国」論争は「歴史問題」の根源
・蔑称の歴史用語採用は歴史自体の取り組み方に対する鈍感
・最初から間違っているということ
・「中国文献」至上主義と「マルクス主義史観」
・「邪馬台国」論争は日本の歴史家の不見識を世界に示す

第二章 『魏志倭人伝』は『三国志』の中の「物語」
・伝聞をもとにすべて構成
・革命を歓迎した王朝の交代を進化とする学派
・存在しない、事実の分析としてどうかという批判
・中国の歴史書として最大限の賛辞を受けた『三国志』
・「魏志倭人伝」の記述の不正確さ
・「卑弥呼」など存在しないことを知っている人々
・昭和五七年に建てられた初めての「卑弥呼神社」
・戦後の日本国民には寝耳に水だった「邪馬台国」ブーム
・「銅鏡百枚」と「三角縁神獣鏡」の関係は不明
・卑弥呼の墓は出てこない
・もはや正直に言った方がいい
・「魏志倭人伝」によれば「卑弥呼」は権威的存在
・「卑弥呼」は「倭国」の王ではない
・「卑弥呼」は「ひめこ」?
・「卑弥呼」は「日皇子」を軽蔑した言い方
・男子はみな刺青をしているという嘘
・「倭人」を軽蔑する材料として使った刺青の記述
・各地の記述のでたらめさ
・「邪馬台国」の記述のでたらめさ
・「邪馬台国」の生活スタイルの嘘
・「邪馬台国」の生死観の嘘
・「邪馬台国」の秩序維持の記述からわかること
・「倭」からの使節に関心を示さない陳寿
・倭の女王「卑弥呼」に関心を払わない日本
・『魏志倭人伝』に日本の歴史に通底するものはない
・『三国志』は中国人中心の「歴史物語」

第三章 日本のあらゆる文献に一切登場しない卑弥呼
・「卑弥呼」が書かれているとすれば『風土記』
・「土蜘蛛」が「卑弥呼」である可能性
・神と化した「土蜘蛛」の中に「卑弥呼」はいるか
・『風土記』に登場する女神たち
・土地の記憶にも残り、神社としても残る女神たち
・「卑弥呼」と橋姫の伝説
・霊力のありかが明らかな『風土記』の神
・倭国の実情をほとんど知らなかった陳寿
・民族信仰、民間伝承の中に「卑弥呼」はいるか
・「卑弥呼」と「山姥」
・「卑弥呼」と占ト
・「卑弥呼」と琉球王国の「オナリ神」
・「卑弥呼」と安産・豊穣の「女神」たち
・「卑弥呼」と琉球の「キンマモン」
・「卑弥呼」と能楽のはじまり
・「卑弥呼」と女神物「鵜羽」
・「卑弥呼」と箸墓古墳

第四章 卑弥呼は天照大神や神功皇后のかわりであったか
・天皇家の伝承とはまったく異なる「卑弥呼」の生活
・「卑弥呼」の天照大神と結びつける、天皇否定の潮流
・マルクス主義史観による天皇否定の潮流
・日本の西洋思想の導入はほぼ半世紀遅れ
・マルクス主義思想は実践活動に直結する
・理解しやすかったマルクス主義史観
・日本の歴史に階級闘争を持ち込んだマルクス主義
・知識人が強く支持したマルクス主義
・歴史学の限界を知っていた「近代」以前
・マルクス主義史観はとっくに死に体
・神功皇后が「卑弥呼」と重ね合わされる理由
・神功皇后の巫女としての力と「卑弥呼」
・神功皇后と、子が無い「卑弥呼」
・香椎宮の伝説・記録に出てこない「卑弥呼」
・内藤湖南の、倭姫命=「卑弥呼」説
・箸墓古墳後円部の直径150メートルと「卑弥呼」の墓
・倭迹迹日百襲姫命は「卑弥呼」ではない
・出雲系の神々に関係する倭迹迹日百襲姫命
・同一人物として重ねることは不可能

第五章 卑弥呼神社が存在しないことの重要性
・神社は土地に記憶された歴史の記録
・「卑弥呼」「王」の不在を示す、関連する神社の不在
・神道の神でも日本人でもない者まで神社に祀る日本
・『史記』に出典する「徐福伝説」だが単なる伝説ではない
・有名な例大祭を持つ、百済王族を祀る神社
・憎悪からも神社や祠が作られる
・古墳は日本特有の巨大文化
・古墳時代を『魏志倭人伝』で語る愚行
・道教たる鬼道は形式主義を排除する
・「邪馬台国」は古墳時代以前の国という誤謬
・中国で一枚も発見されない「三角縁神獣鏡」
・「三角縁神獣鏡」の断面三角は日本の山
・不正確なものは信ずるに足りない

あとがき
     ――それでも出し続ける重要性について





     ********** あとがき **********


 あとがき
     ……それでも出し続ける重要性について



 現代はご存じのようにネットの時代です。私はすでに七六歳になりますが、学者として最初は原稿用紙、タイプライター、ワープロ、そしてパソコンと、次々と著述形式を変えてきました。仕事上、現在はどうしてもパソコンで原稿を書き、メールで通信をしなければ、致し方ない時代になっています。大学で一足先にパソコンを習熟した大学院生が、得意げに教授の前でプリントをしてみせる姿に、日頃の鬱憤を多少でも晴らすようで、苦笑いをする老教授も多いことでしょう。年寄りが皆、この技術の発展についていけない体験をしているはずです。研究とは直接、関係がないにせよ、便利さだけは、若手に教えを乞わざるを得なかったのです。

 情報も、伝達も、そして論文発表まで、こうした技術を使わざるを得なくなっています。世界中、即座に伝達が可能となったことで、郵便で一週間もかけて応答していた時代との大きな様変わりに対処しなければなりませんでした、これが果たして学問を進展させるものだろうかと考えたこともあります。しかしどうやら、そうでない方向に展開しているようです。

 この新しいネットの世界に接するにつれて、異変を感じます。これまで既成の発表期間に頼っていた時代も、このネットで自由になった点です。あるイデオロギーに因われた編集者に牛耳られる既成の学会誌、市井の新聞、雑誌、放送など、あたかも知的権威であるかのごとく振舞ってきたメディアからも自由な発表空間が出来始めています。文化支配を目指した戦後マルクス主義(フランクフルト学派)に犯された、既成の雑誌、書籍も時代遅れになり、ネットの情報があれば、彼らを問題にしなくてもいいようになってきました。このあとも、知識人にとって大きな知的・地殻変動だと思われます。いつでも情報は入ってくるし、欧米などの人たちとも、平等に情報は共有できるようになっています。

 戦後、「民主主義」の名のもとに、もともと少数派だった左翼学者の学問支配があります。カルチュアル・スタディーズ、ジェンダーフリーなどの名のもとに、彼らは学会を跋扈しているのです。大学では人事権にあぐらをかいて徒党を組み、個人の研究をコントロールしていると言っていいでしょう。論壇も封鎖空間もつくりあげ、彼らに会わない見解は、無視してきました。それによって、保守派の論文の存在を消したつもりになっており、その教条主義が、彼ら自身の思想の衰退を促していることもわからないのです。重箱の隅を突つくような、レベルの低下を如実に示す研究が、こうした意図的な言論封鎖により助長され、多くの保守の学者が、締め出される状態になっています。

 異変とは、ネット空間を中心に、学問を発表することが可能になったことです。私の場合は、同志とともに、自らの見解を議論できる別の学会を立ち上げ、マルクス主義から自由な言論機関を作ろうと『日本国史学』を創刊しました。また毎月連続講演会を組織し、学会の講演の映像をネットに立ち上げたところ、多くの人々により試聴されるようになりました。それにつれて、反応も多く出るようになったことはいいことです。

この本の元となった論文「なぜ卑弥呼神社がないのか―――日本のどこにも存在しない邪馬台国」は七編の論文を掲載した『高天原は関東にあった―――日本神話と考古学を再考する』(勉誠出版 2017年)の中の第七章の論文です。この論文集にはすでに何人かの高名な学者のお褒めの私信を受けましたが、それを除くと、歴史学会でも言論界でも無視されています。この問題は、日本国家の歴史の根幹に関わる重要な課題であり、日本人の誰でもが話題にすべき、神話と歴史の問題です。

 喜ばしいことにその左翼学会の沈黙に対して、ネットでは取り上げられ、それが三万五千以上のアクセスがあったといいます(「【日本の教授】卑弥呼や邪馬台国などは存在しない」三万五一二八回視聴)。
 その取り上げ方を紹介します。

 中韓の捏造文書に「考古学会が見事に騙された」と東北大学教授が断定。常識的に考えれば嘘だとわかる、日本の教科書に書かれている、卑弥呼のいた「邪馬台国」は日本のどこにあったのか、いまだに意見が大きく割れている。

 とあるメルマガで、「そもそも卑弥呼や邪馬台国など存在しない。魏志倭人伝は中韓の捏造だ」と主張している衝撃の一冊を紹介しています。

 田中英道『高天原は関東にあった 日本を再考する』を読んだ。

 著者は日本国土に卑弥呼神社が一社もない=邪馬台国の痕跡がないことを以て「魏志倭人伝」は日本に来たこともない陳寿の想像だと断じる。
「魏志倭人伝」の記述はもともとおかしい。(中略)
 この記述の「距離」の創造性をみれば最初からフィクションを書くことを意図していたとしか考えられない。「邪馬台国」とか「卑弥呼」という「蔑称」がいつの間にか歴史用語になり、教科書にまでのせられてしまったこと自体が、歴史家、教育者のレベルの低さをしめすものである。(以下要点)
 「邪馬台国」の伝承が残り、それが祀る神社や祠がない。調査もないからできない。
万葉集にもこれを推測させる歌が一切ない。地方の歴史や文物を記した地誌である「風土記」にもない。民族信仰、民間伝承、昔話の中にも「卑弥呼」系は見いだせない。

  上記のことから、とにかく日本には「魏志倭人伝」様相を伝えるものは全くない。
邪馬台国の不在はすでに定まっていたのだ。
「魏志倭人伝」は、日本史に置いて検討に値しない。私は今後「偽史倭人伝」と書く。
「倭」という「蔑称」が気に入らぬが………。 云々。

 そして「ネットの反応です」が続く。「………などと意味不明の供述を続けており警察は慎重に調べを進めています」などというこれこそ「意味不明」のネットの反応から始まり、百以上のコメントが書き出されています。

 確かにネットの空間では、このように取り上げられ、内容がアピールされています。
 しかしそれに対するコメントの多くには失望せざるをえません。左翼は、無視を決め込んでいますが、多くは意見を言いたいにせよ、その表現能力がないため、ほとんどが冷やかし風のものに過ぎないのです。従って既成の説を相変わらず主張するか、多少賛成しても、具体的にどこがいいか、などというコメントもつくれない。確かに素人が勝手に加わることができるネットだけに、この「意味不明」な反応のようなものが多いのです。これでは、匿名で書けるネットでは、衆愚政治のようなもので、意味のない議論になってしまいます。私の本を直接読んで書いた、という内容の議論は、皆無に等しい印象です。

 この邪馬台国問題まで、戦後、学界、マスコミを賑わした問題はないでしょう。国家の歴史の根本を揺るがす問題です。こうした本は、その意味で、さらに多くの人々に読んでもらわなくてはならないと池嶋社長もおっしゃって下さいました。このネットの反応状態を見ても、もっとわかりやすく、丁寧に書いた本が必要だ、と考えられたのです。それで新たな検討を加えて書かれたのがこの選書版の本です。

 『日本の紀元は日高国にあった―――縄文・弥生時代の歴史的復元』『天孫降臨とは何であったのか』に続いて、この選書も、論文集『高天原は関東にあった―――日本神話と考古学を再考する』の学術論文を、より一般読者のために書き直したものです。
 出版にあたって、これを推進された畏友、池嶋社長、。このシリーズの協力者の尾崎克行氏に厚くお礼を申し上げます。