◇◇ 財務省の正体 ◇◇

財務省の正体
〜日本経済を破壊したテロリストたち
著者 三橋貴明
発行日 2025年10月31日
経営科学出版
第1版 第1刷発行
¥1,800
出生のために
増税に邁進する ―――
日本を“30年”衰退させた
『財務省一極支配』の全貌
国民生活を破壊し、インフラを破壊し、
農業を破壊してきた組織の
化けの皮が剥がれる。
財務省を正常化する「だけ」で
日本経済は大復活する!
財務省ほど日本のためにならない組織はない!
・ 度重なる消費税増税による国民総貧困化
・ 税収弾性値1.1を続けるための統計偽装
・ 低所得者と高所得者という形での国民分断
・ 景気を悪化させるPB黒字化目標
・ 緊縮財政によるインフラ老朽化
・ 非正規雇用増加による少子高齢化‥‥‥
これら財務省の悪事を暴いく。
財務省はメディアを
コントロールする
元財務省の幹部でNo.2の、榊原英資氏はその著書、「財務官僚の仕事力」の中で、
実際にこんな暴露をしています。
「財務省はメディアをコントロールする」と。
その言葉の通り、財務省は本当にメディアをコントロールしてきました。
京都大学藤井研究室の研究で、1990年代以降、
公共事業の予算が増えるとすぐに公共事業を批判する記事が
連動して増えると言う奇妙な現象が起こったことが判明。
そして、こうした公共事業批判を見て、エコノミスト・紺谷典子氏が大蔵省に電話をして
「公共事業批判のキャンペーンをおやりになりましたか?」と聞いたところ、
「もちろんやりましたよ」
「マスコミにすぐ使える資料も提供しました」という返事が返ってきたのです。
財務省の手口を
全て知ってください。
日本で一番最初に財務省への批判をネットで始め、
18年間膨大な研究・調査をもとに戦ってきた三橋貴明が、
財務省のウソを全て暴きます。
***** もくじ *****
はじめに ――― 6
第1章 財務省が日本人を貧困化させた
財務官僚が消費税増税を狙う理由 ――― 16
経済成長よりも緊縮財政を優先する財務省の体質 ――― 21
公共事業不要論の仕掛け人だった ――― 26
ナチスと財務省の奇妙な共通点 ――― 31
非正規雇用を増やし節税する大企業 ――― 36
緊縮財政でインフラがボロボロに ――― 42
国税庁という警察力を使ってメディアをコントロール ――― 49
第2章 日本の財政破綻はあり得ない
日本の財政状況はギリシャ以下? ――― 54
対ドル固定相場制にこだわるレバノンの特殊すぎる事情 ――― 58
「赤字国債」はプロパガンダ用語 ――― 62
効果がなかった日銀の国債買い取り ――― 68
日本経済低迷の原因はPB黒字化 ――― 75
財務省が行った統計詐欺の数々 ――― 79
税収が過去最高を更新するカラクリ ――― 82
日本全国で起きている供給能力不足 ――― 88
日本を襲うサプライロス型インフレ ――― 99
第3章 日本を経済大国に返り咲かせる方法
税金に「財源」としての役割はない ――― 104
税金が持つ、3つの知られざる役割 ――― 108
投資を拡大させれば経済成長する ――― 111
3つの恒久減税をすれば、実質賃金は大幅に増加する ――― 118
公務員給与の引き上げでGDPを直接成長させる ――― 123
社会保険料は典型的な逆累進課税 ――― 130
財務省が繰り広げるルサンチマン・プロパガンダ ――― 133
財務省に悪用された地域選別論 ――― 137
間違いだらけの「選択と集中」 ――― 142
本当のラスボスは財務省の文化構造 ――― 145
はじめに ―――――――――――――――
2025年、不思議な政治現象が報じられるようになった。財務省解体デモである。
霞が関の財務省前はもちろんのこと、各地の財務局前で財務省解体デモが開催され始めたのである。
当初、日本の新聞、テレビといった大手マスコミ、いわゆる「オールドメディア」は、財務省解体デモについて完全に無視していた。ところが、SNSを経由し、デモの情報が拡散。次第にオールドメディアも取り上げざるを得なくなっていった。
それにしても、なぜ財務省「解体」なのだろうか。財務省「解体」とは、何を意味しているのか。
具体的には、財務省について、「歳入(主税局)と歳出(主計局)の所管を分けるべき」という話だ。いわゆる歳入庁構想である。
現在の財務省は、歳入と歳出の双方を所管している。すなわち、国家財政の「入り」と「出」の両方を所管しているのだ。
結果的に、「財政均衡」という狂った思想の下で、歳入の拡大(=増税)と歳出の切り詰め(予算抑制)の組み合わせという緊縮財政が行われている。
この「事実」が国民に知れ渡った。国民を貧困化させ、国家を凋落させる緊縮財政は、今も継続されている。
このままでは、将来の母国が「日本国」ではなくなってしまう……。その危機感が、普通の日本国民を動かした。
これまでは、デモと言えば、いわゆる「左翼」の得意技であった。
日本のオールドメディアは、大した人数が集まっているわけではないにもかかわらず、左翼のデモを大々的に報じていた。逆に、日本国の将来を憂えた、いわゆる国民主義に基づくデモは完全に無視する傾向があった。
それが、財務省解体デモへの参加者が日を追うごとに増えていき、ついに報道せざるを得なくなったのである。
「2025年3月14日 NHK『財務省前減税や積極財政求めるデモ続く』
このところ財務省の前では、減税や積極財政を求めるデモが続いています。14日は午後5時ごろからデモが行われ、東京・霞が関の財務省の庁舎を取り囲むように多くの人が参加し、一時は歩道をすれ違うのも難しいような状況となりました。参加者たちは『財務省解体』と書かれたプラカードを掲げたり、『増税反対』とか『消費税廃止』といった声を挙げたりしていました。参加した人からは『SNSでデモのことを知り若い世代も考えないといけないと思って参加した』といった声や、『デモに来るのは3回目で、毎回人が増えている。所得が低い人たちは大変だ』などという声が挙がっていました(後略)」
財務省は、特に1995年11月国会における、武村正義大蔵大臣(当時)の「財政危機宣言」以降、増税を繰り返し、政府支出を切り詰める緊縮財政を続けた。特に、1997年の橋本龍太郎政権による消費税増税、公共事業をはじめとする政府予算削減は致命的だった。日本経済はデフレーションに陥り、国民の貧困化が始まった。
財務省は、国民を苦しめる緊縮財政を強行するために、「財政破綻論」というプロパガンダを展開した。
「国の借金で破綻する」
という一文で表現できる財政破綻論の威力はすさまじく、日本国民の多くは、単なる国民経済への貨幣供給にすぎない「国債発行」について、「借金を増やすこと」と思い込み、自分たちを殺す増税や予算削減に、むしろ賛成するようになっていった。
筆者は「財政破綻論」と、十数年間戦い続けてきた。当初、ネットで財政破綻論について批判していたのは、筆者だけであった(書籍等で批判している方々はいた)。
その後、次第に筆者に同調する意見が拡大していき、特にコロナ禍以降、財政に関する正しい知識を持つ国民が増えていった。ついには、財務省解体デモまでもが発生するに至ったのである。
もちろん、デモによって財務省の改革が可能だとは思わない。とはいえ、デモの拡大は政治家にプレッシャーを与える。
「財務省に媚びへつらい、緊縮財政を推進すると、落選する可能性が高い」
と、多くの政治家が認識すれば、財務省の改革というよりは「正常化」が進むだろう。さらには、実際の有権者の投票活動が重要だ。
2025年7月20日に投開票が行われた第27回参議院選挙では、自由民主党、立憲民主党といった「緊縮財政政党」が、大いに議席を減らした。何しろ、与党(自民党、公明党)と立憲民主党だけで、24年衆議院選挙と比較し、670万票もの比例票を減らしたのである。反対側で、国民民主党、参政党、れいわ新選組という「積極財政政党」が、比例票を707万も積み増した。
かつて、筆者が、
「日本政府が財政破綻することはない」
という主張を始めた際には、嘲笑や罵声しかなかった状況と比較すると、隔世の感がある。
筆者は2017年10月末に小学館から『財務省が日本を滅ぼす』を刊行した。その後、12月12日に安倍晋三総理大臣(当時)に招かれ、総理公邸で夕食をともにすることになった。
改めて考えてみると「あの」タイミングで総理が筆者を招待したのには、政治的な意味があったのだろう。
日本における事実上の「財政主権者」である財務省を、猛烈に批判した書籍を出した直後の筆者と会食する。しかも、総理公邸で書籍を持った筆者と写真を撮り、公開を認めた。
会食の場において、総理は筆者に以下のように語った。「自分には3つの敵がいる」
と。
3つの敵とは、具体的には「朝日新聞に代表される左翼リベラル」「国際金融資本」そして「財務省」。
左翼リベラルについては、「自分が何をしても、どちらにせよ攻撃してくる」
とのことで、無視する。国際金融資本は、
「戦っても勝てない」
はっきり、そう言った。ちなみに、安倍政権が竹中平蔵氏を重用していることについて、筆者が疑念を述べると、
「彼は、国際金融資本の窓口だから」と、理由を説明した。「分かっているんじゃないか!」と、筆者が心の中で突っ込んだのは言うまでもない。
最後に、財務省。財務省について、総理は「勝てる」と断言した。さらに、「財務省については、自分が何とかしなければならない。何しろ、自分が総理を辞めたあとは、石破、岸田、小泉だ(本当にこう言った)。彼らは財務省の支配下にある。
自分の政権が何とかしないと、未来永劫、このままだ」と、説明したのである。
加えて、総理の発言で気になったのは、自民党の国会議員たちの「堕落」ぶりである。総理が言うには、自民党の国会議員たちが「公共事業を増やせ」と圧力をかけてくれば、自分も動かざるを得ない。
というよりも、国会議員たちからの圧力を武器に、財務省と戦える。ところが、自民党の国会議員たちが何も言ってこない。
「むしろ、自分が一番、積極財政派に思える」と、総理は結んだのである。
結局のところ、問題は「国会議員」なのである。そして、国会議員は、国民である有権者の投票で選ばれる。
国民の多くは、財務省が繰り出す財政破綻論に洗脳され、自分たちを苦しめる緊縮財政を訴える候補に投票する。
筆者は財政破綻論と戦ううえで、国会議員と世論が鍵となると考えた。与野党問わず、国会議員たちに財政の真実についてレクチャーして回り、SNSを活用し、国民の財政破綻論という洗脳を解くべく努力をしてきたのである。
無論、いまだ勝利したわけではない。とはいえ、財務省解体デモが起きるほどに、国民に財政の真実が知れ渡った。加えて、第27回参議院選挙では、正しい財政観を持つ参議院議員が複数人、誕生した。
いまだ、勝利はしていない。とはいえ、必ず勝てる。
最終的に、財務省は確実に敗北する。問題は、財務省敗北の日が近いか、遠いかだ。
=== 内容抜粋〔最終章〕 ===
第3章 日本を経済大国に返り咲かせる方法
――― 税金に「財源」としての役割はない
根本的な間違いについて、正しておこう。税は財源ではない。
税金には、さまざまな役割があるが、財源ではない。国家にとっての「財源」とは、国債以外にはあり得ない。
財源とは、「財政支出の源」という意味である。多くの日本国民(および政治家)は、
「政府は税金を徴収し、支出している」
と、思い込んでいるが、現実問題としてそんなことはできない。
例えば、2025年度の社会保障支出等は、同年4月から始まる。当たり前だが、25年4月時点では誰も税金を支払っていない(※社会保険料も)。それにもかかわらず、法律に基づき、政府は年金等に支出しなければならない。
どうすればいいのか。というよりも、どうしているのだろうか。
普通に国債を発行し、支出しているにすぎない。政府は国債を発行し、年金受給者等の銀行預金を増やしているだけだ。2020年の特別定額給付金の支給と同じである。
改めて、政府の支出についてゼロベースで考えてみてほしい。
例えば、ある豊かな無人島に、読者が「王」として多くの人々を引き連れ、移住した。一応、王国であるため、読者は王城を建設しようとした。王城建設の費用をどのように賄えばよいのだろうか。
「王国民から徴税すればいい」
と考えたところで、新設の王国であるため、そもそも貨幣が存在しない。貨幣が存在しない社会で、徴税はできない。 というわけで、読者は国王として貨幣を造り、支払う。具体的には、王城建設の資材を購入し、建設に従事した労働者に賃金を「造幣」により賄うのだ。
貨幣の媒体は、別に何でも構わない。金でも、銀でも、鉄でも、瓦礫でも、紙切れでも、何でもいい。金額を書いて、刻印を押す。
江戸時代、勘定奉行(現在の財務大臣)を務めた荻原重秀は、
日本を経済大国に返り咲かせる方法
「貨幣は国家が造る所、瓦礫(がれき)を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」
という名言を残した。
元禄時代、金銀の採掘量が減少し、さらに貿易による金銀流出の影響で、江戸幕府は市場の貨幣需要に対応できなくなりつつあった。
そんな中、経済政策を任された荻原重秀は、貨幣について、「金銀の価値に依存する必要はなく、政府が保証すれば済む話である」と考えた。なんと、300年以上も早く、現代的な表券主義、国定信用貨幣論を先取りしていたのである。
重秀は元禄8年(1695年)、慶長金・慶長銀を改鋳し、金銀の含有率を大幅に減らした元禄金・元禄銀を製造。日本経済のデフレ化を回避した。さらに、幕府に膨大な改鋳差益をもたらし、財政赤字を解消。
しかも、元禄貨幣改鋳後の日本のインフレ率は平均3%程度に収まり、蓄財していた豪商や富裕層が貨幣価値の目減りを受け、投資を拡大。元禄景気が始まった。
新王国の国王となった読者は、王城建設の費用を「貨幣を造る」ことで支払える。
というより、支払わなければならない。媒体は、さすがに瓦礫はどうかと思うが、特にこだわる必要はない。
ちなみに、鉄の貨幣は古代ギリシャのスパルタで実際に使われていた。また、第一次世界大戦後のドイツも、物資の不足から、一部、鉄貨を使用していた。
読者が国王として王城建設に使った貨幣は、王国民の間でも財やサービスの購入に使われる。国民の間で、読者が発行した貨幣が使われ、国民経済が成立する。
国王が支出することで発行された貨幣こそが、経済を成長させる。もっとも、貨幣を発行するだけでは、例えば、国民の所得格差が拡大していくなどの問題が発生するかもしれない。
その場合、国王は高所得者層に「税金」をかけ、貨幣の一部を徴収する。徴税により、格差を縮小させることができる。
あるいは、国民経済が活発になりすぎて、財やサービスの生産が不足。物価が適正な水準を超えて上昇していった。となれば、国王は貨幣の一部を税金として徴収し、インフレを抑制するわけである。
「いや、そんな国王が勝手に発行した貨幣が流通するはずがない」
と、思った読者がいるかもしれないが、心配ない。何しろ、国王は自分が発行した貨幣で徴税するのだ。
――― 税金が持つ、3つの知られざる役割
税金を支払わなければ、王国民は罰せられる。徴税が存在する以上、王国民は国王の貨幣を使わざるを得ない。
日本で言えば、日本政府が日本円で徴税をする。国税通則法で定められている以上、日本円以外での納税はできない。
「第34条関係 納付の手続
1 法第34条第1項の『金銭』とは、強制通用力を有する日本円を単位とする通貨をいい、小切手その他の証券を含まない。」
日本円は、強制通用力を有する。となっているが、厳密には話は逆だ。
日本円での納税を強制されているからこそ、通用しているのである。何しろ、税金を日本円で納付しなければ、最悪、逮捕されてしまう。その強制力たるや、絶大である。
というわけで、日本円以外が日本国内で流通することはない。
そのうえで、2つの理由から、税金は存在する。1つ目は、景気の安定化装置。ビルトインスタビライザー(埋め込まれた安定化装置)だ。
景気が過熱気味ならば、人々の可処分所得を減らすために、徴税を増やす。景気が悪化しているならば、徴税を控え、人々の手元の可処分所得を増やし、消費や投資の拡大を促す。
税金には、景気を安定化させる機能が組み込まれている。ただし、消費税にはビルトインスタビライザーの機能がほぼない。消費税は安定財源だ。だからこそ、消費税は欠陥税制なのである。
2つ目。政策目的(ミッション)の実現。
例えば、自動車が出す排気ガスを減らしたいのならば、排ガス税を導入する。排気ガスを出す車に課税すれば、次第にクリーンな自動車への転換が進む。
あるいは、タバコ税。タバコに課税することで、あるいは税金を高くしていくことで、タバコを吸う人を減らす。
前記は2つとも税金が「罰金」として機能するわけだが、その逆もある。例えば、企業や家計が東京から地方に移転した場合に、法人税や所得税を減免する。東京一極集中の緩和につながるだろう。
さらには、少子化対策をしたいのならば、子どもの数に応じて所得税を引き下げるというのもアリだ。
要するに、税金を活用し、国民や企業に、「そちらに動いたほうが得だ」
と、思わせることで、人々の行動をコントロールするのである。
前記を理解すると、1989年以降の日本の税制改革が、「格差拡大」というミッションを達成するためのものであったことが分かる。
法人税を減税し、所得税の累進課税を緩和し、消費税を導入・増税し、上場企業からの配当金について分離課税を導入した(※分離課税導入も1989年)。4つの税制変更は、すべて格差拡大をもたらす。そして、見事にミッションを達成したのである。
というわけで、税金には「ビルトインスタビライザー」「ミッションの実現」そして「日本円の強制通用」という3つの役割がある。逆に「財源」としての役割だけがない。財源は、常に国債だ。王国で言えば、国王の貨幣発行である。
日本政府は「国民を豊かに、安全に暮らせるようにする」いわゆる経世済民のために、財源など気にせずに財政政策を推進すればよいのである。具体的には、財政支出の拡大と減税政策だ。日本は「まだ」政府の正しい財政政策により、経済成長路線に乗り、国民が豊かになることが可能だ。
――― 投資を拡大させれば経済成長する
そもそも、経済成長とは何なのか。もちろん、マクロ経済の定義では実質GDPの成長になる。
名目GDPの場合は、物価上昇「だけ」で拡大してしまうため、経済成長率の定義としては適切ではない。あくまで「実質値」の上昇が必要なのだ。
土木業を例にとろう。それまでは、1人の生産者(従業員)が1日に1の作業をしていた。報酬は、1万円。つまりは、所得が1万円。
その状況から、物価が10%上昇した。1の作業の報酬も1・1万円に増えた。
この場合、確かに所得は増えているが、物価も同じ率だけ上がっているために、実質的には豊かになっていない。GDPで言えば、名目値は10%成長したものの、物価も上がっているため、実質値は増えていない。つまりは、豊かになっていない。
それでは、実質値を増やすにはどうしたらいいのだろうか。生産の際に額ではなく「量」を増やすのだ。
それまで、1日に作業員が1だけこなしていた仕事を2にする。あるいは3にする。生産量を拡大していけば、GDP三面等価の原則により、所得も2、3と増えていく。
「そんなことができるのか?」
と、思われただろうが、普通にできる。機械化や自動化といった投資により、生産性(1人当たりの生産量)を向上させていけばいいだけだ。
土木作業で言えば、それまではツルハシとスコップを用いて作業していたのを、ブルドーザー等の土木機械を導入する。生産者1人当たりの土木作業量が激増することになる。下手をすると、1日の作業量が数十倍、数百倍に拡大するのではないか。
となれば、論理的には生産者は数十倍、数百倍の報酬をもらえることになるが、現実はそうはならない。それでも、所得の実質値は確実に増えていくことになるだろう。
物価が変わらないとして、投資することで作業量が1から3に増えた。生産された土木サービスの「量」が3倍になった。GDPで言えば、実質GDPが200%成長となるわけだ(名目GDPも同じ率の成長になる)。
これが、経済成長である。我が国は、かつて高度成長期に、まさに投資を拡大することで、国民が豊かになっていった。
というわけで、日本の「投資総額」について見てみよう。投資とはGDPの需要項目である。GDP上、投資は「民間住宅(※住宅投資)」「民間企業設備(※設備投資)」
そして「公的固定資本形成(※公共投資から用地費等を除いたもの)」の3つに分けられる。
図14のとおり、1996年のピークには年間169兆円だった投資総額は、リーマンショック後の2010年には114兆円にまで落ち込んだ。その後は上向き、2024年は159兆円で、一見、回復しているように見える。
公的固定資本形成や民間住宅は伸びていないが、民間企業設備が回復したためだ。
もっとも、残念ながら図14は「名目値」である。物価が上昇すると、投資「量」は増えていなかったとしても、見かけの数値は上昇する。というわけで、図14からGDPデフレータで物価上昇分を控除した実質GDPで見てみよう(図15)。
すると、日本の投資総額がいまだに140兆円に達していないことが読み取れる。ピークの1996年の159兆円と比較すると、マイナス20兆円だ。「毎年」20兆円の投資が減っていることになる。
96年以降の「増えなかった投資」を計算してみると、恐るべき事実が分かる。1996年から2025年、まさに「失われた30年」だが、96年の投資総額(実質値)が増えるとは言わないまでも、同額で維持された場合、総額は4607兆円。実際の96年から2025年までの投資総額は、3968兆円。その差、実に640兆円。
30年間の日本経済は、少なくとも累計で640兆円の投資が不足していたことになる。日本のGDPに匹敵する規模の投資が「行われなかった」のである。日本経済が低迷を続け、失われた30年に至ってしまったのは、当然だ。
問題が明らかである以上、解決すればいい。日本経済を成長させるためには、どうすればいいのか。「ふわっ」とした抽象的な議論は不要だ。単純に、投資を拡大すればよいのである。
もっとも、デフレという総需要不足の時代に、民間企業が設備投資を増やすはずがない。総需要不足とは、市場不足、仕事不足、発注不足とイコールなのだ。
仕事が増加しない環境下で、経営者が「生産性向上」の投資をすることはない。理由は、生産性を高め、生産量を増やしたところで「買われない」ためだ。
また、実質賃金がひたすら下がっていく国民が、住宅投資に乗り出すこともない。
特に、労働規制緩和や消費税増税により、日本は非正規雇用が増えた。非正規雇用は、そもそも住宅ローンを組めない。
だからこそ、政府が投資を拡大しなければならなかったのだ。それにもかかわらず、図2のとおり、日本政府は公共投資を減らしていった。結果が、失われた30年。
しかも、投資とはGDP(支出面)の需要そのものだ。需要が増えないことを受けて、投資という需要を減らす。まさに、悪循環である。
――― 3つの恒久減税をすれば、
実質賃金は大幅に増加する
もっとも、2023年以降、日本の経済環境は一変した。
図13のとおり、日本は日本政府のデフレ放置および供給能力削減策により、サプライロス型インフレに陥った。
需要が拡大したわけではない。供給能力が縮小し、デフレギャップからインフレギャップに転換したのである。
筆者は、供給能力を毀損した結果、サプライロス型インフレに陥るような愚かな国など、日本が初めてだと思っていた。とはいえ、世界には前例がいくつもある。というよりも、多数ある。
もちろん、戦争や内戦、クーデターによる国内の混乱により、供給能力が破壊された例が多い。政治的にサプライロス型インフレに陥った国は、代表株が毛沢東の大躍進時代の中国であり、ポル・ポト支配下のカンボジアだ。間違った経済政策を独裁的に強行した結果、サプライロスが引き起こされた国は、少なくない。
先述のとおり、日本にしても、サプライロス型インフレに陥ったのは2度目だ。1度目は、大東亜戦争の敗北。大東亜戦争末期、日本はアメリカ軍に国内の生産資産を破壊し尽くされた。
敗戦後、1946年の日本のインフレ率は500%に達する。アメリカに各種のインフラ、工場・設備等を爆撃で壊された以上、当然である。
ところで、敗戦によりサプライロス型インフレに陥った日本経済は、その後、どうなっただろうか。高度成長期に突入したのである。
日本の高度成長期について「朝鮮戦争による需要拡大」が理由と思っている日本国民は多いだろう。もちろん、間違ってはいないが、厳密には正しくない。
当時の日本経済が、図12の右側「デフレギャップ」の状況だったならば、どうなっただろうか。不足している総需要が、戦争勃発により埋まった。もちろん、景気はよくなるが、さすがに「高度経済成長」は無理だっただろう。
現在、日本は政府の愚策によりサプライロス型インフレになってしまった。このタイミングで、政府が「安定的な需要拡大」をコミットすれば、日本は再び高度成長する可能性が高い。少なくとも、その潜在能力は日本にある。
具体的には、まずは「減税」だ。
例えば、消費税の減税。財務省は消費税収について25兆円(2025年度)と公表している。とはいえ、輸出企業に還付している輸出戻し税分(約10兆円)を含めると、約35兆円だ。消費税率を5%に引き下げると、17兆円強の「恒久減税」になる。
そこに、所得税の基礎控除等の178万円への引き上げ(約7兆円)、ガソリン税の暫定税率廃止(約1・5兆円)を合わせると、25兆円以上の減税になる。つまりは、国民の手元に25兆円の所得が残るのだ。
日本の名目GDPの4%に当たる所得が国民(および企業)から政府に徴収されない。乗数効果を含めると、実質値で6%超の経済成長が見込める。高度成長期の平均(9%超)には及ばないが、夢のような成長率である。
しかも、3つの減税は「恒久」減税である。減税した年度だけ需要が増えるわけではない。少なくとも3減税による需要増は、その後も維持される。
無論、6%を超す経済成長を達成すれば、国民の実質賃金が大幅に増加するため、
消費は増える。企業の設備投資も、確実に増加する。
消費も投資も、GDPの需要そのものだ。減税による需要増が、消費・投資という需要を増やし、さらなる投資を呼び込む。国民の実質所得のプラス化が消費を拡大していく。好循環が生まれる。
2025年4月30日、石破茂総理大臣(当時)は、消費税減税について、
「高所得の方、あるいは高額消費、これも含めて負担軽減がなされることになります。
低所得の方が物価高に一番苦しんでいることから考えれば、どうなのか。よく検討することが必要だ」と述べ、高所得者や多額の消費をする人も負担が減ると指摘した。石破総理の発言は、当然、財務官僚が「言わせている」のだろうが、あらゆる経済原則を無視している。
消費税の逆進性(消費税率を引き上げると、物価が上がるケースが多いため、低所得者層ほど打撃を受ける)の問題は置いたとしても、消費税減税で高所得者層が高額商品を買えば、
「その高額商品を生産している生産者の所得が増える」
ことになる。こんな当たり前のことが、理解できないのだろうか。
例えば、1000万円の自動車が消費税廃止で900万円になれば、
「本来であれば発生しなかった需要=所得」
が生まれる可能性が高い。要するに、高所得者が「安い」と感じ、買う予定がなかった高級車を買うのである。結果、自動車の生産、販売に携わっている「国民」の所得が生まれる。
何が問題なのだろうか。
もちろん、分かっている。財務省は、高所得者や多額の消費をする人へのルサンチマンを煽り、「低所得者対高所得者」の形で国民を分断し、消費税減税を止めようとしているのだ。
高所得者層が「本来であればしなかったはずの買い物」をしたとき、所得が増えるのは相対的に所得が低い人たちである。高所得者層は、単におカネが減るだけだ。別に、金銭的に得をしているわけではない。
おカネは使っても、この世から消えない。誰かの所得になるのだ。
――― 公務員給与の引き上げで
GDPを直接成長させる
さらには、財政支出系の政策も重要だ。
日本の農業を維持、発展させるためには、欧米式の所得補償政策を採用するか、アメリカ式に価格を保障するしかない。欧米諸国は、莫大な財政支出で農家を守っている。理由は簡単で、財政で農家を保護しなければ、市場競争に敗北し、廃業していかざるを得ないためだ。
農家が廃業すると、当然ながら食料自給率が下がり、食料安全保障が弱体化していく。安全保障上の理由から、欧米の政府は国費(財政支出)で農家を守っているのである。日本も同じことをするべきだ。
2025年8月5日、石破内閣(当時)は「米増産」の方針を打ち出した。減反政策の転換という話なのだろうが、財政支出で農家の所得を補償しない限り、コメの生産は増えない。
何しろ、現実にコメ農家のほとんどが赤字なのだ。当然、後継者はいない。誰も、赤字の事業を子どもや孫に継がせようとはしない。 すでにコメ農家の平均年齢は70歳を超えている。このまま農家への保護を躊躇していると、10年後、日本はコメを作れなくなっているだろう。農家の所得を補償し、「10年、コメを作り続けると、家が建つ」状況にしなければならない。「コメ農家は安定的な職業」ということになれば、若い世代が参入し、技能継承が可能になるだろう。
また、土木・建設分野。日本政府は公共投資を削減し、談合を潰し、指名競争入札を一般競争入札化。土木・建設企業や建設業従事者の減少を放置してきた。結果的に、日本国は防災安全保障が崩壊に向かいつつある。
要は、公共投資を拡大するのだ。単年度ではなく、複数年度の「安定的な需要積み増し」が必要なのである。
単年度で、いきなり公共投資を激増させても、人手不足が深刻化し、需要に対応できなくなるだけだ。公共事業の入札不調が相次ぎ、民間における土木・建設サービスの価格が高騰していく。つまりは「悪いインフレ」に突入する。
安定的に、計画的に公共投資を拡大していくことを政府がコミットすれば、土木業、建設業の将来不安が払拭され、投資が進む。設備が導入され、人材教育が進み、若い日本人生産者が「高く」雇用され始めるだろう。
つまりは、国土計画の復活が必要なのである。
反発する読者が少なくないだろうが、公務員の増強、公務員給与の引き上げ、非正日本を経済大国に返り咲かせる方法規公務員の正規化は必須だ。
そもそも、石破内閣(当時)は実質賃金低下という問題解決のために、企業に「賃上げ」を要請することしかしていない。理由は、企業に賃上げをお願いすることは、タダだからだ。
総理大臣が経団連に賃上げ要請をするなど、永田町から大手町までのガソリン代しかかからない。実に安い。
そもそも、日本政府が国民の賃上げを望むならば、率先垂範するべきだろう。すなわち、公務員給与の引き上げだ。
公務員給与のGDP上における取り扱いは、民間企業と異なる。民間の場合、所得を稼ぐのは、まずは企業。この時点でGDPとして統計される。
企業が稼いだ粗利益から、従業員に給与が支給される。粗利益が成立した時点でGDPになっているため、分配された従業員給与は計上されないのだ(二重計上になってしまうため)。
それに対して、公務員給与は「そのまま」GDPになる。例えば、警察官が「治安維持サービス」を生産し、政府から給与を受け取った。その場合、警察官の給与額がGDPとして統計されるのである。
理由は、
「警察官が生産した治安維持サービスに、政府が支出した」
ことになるためだ。つまりは、警察官は民間経済における企業と同じ取り扱いになるのだ。
前記から、政府が、「生産者の賃金を引き上げ、GDPを増やしたい」と考えたときに、やるべきことは明らかだ。すなわち、公務員給与の引き上げ、公務員の増強、そして非正規公務員の正規化である。
公務員給与引き上げ等に5兆円を使った場合、その金額分、GDPが増える。あるいは、年収500万円の公務員を10万人雇用した場合、GDPが5000億円拡大する。年収250万円の非正規公務員を正規化し、10万人を正規化した場合、GDPが2500億円分、成長することになる。
結局のところ、日本政府が、
「国民の給与を増やしたい」
「GDPを成長させたい」
と、考えるならば、やるべきことは1つしかない。すなわち、公務員に対する人件費を増大させるのである。何しろ、公務員給与引き上げは国民の給与水準を高めるのみならず、GDPを直接的に成長させる。
図16のとおり、日本の公務員数は1996年の327万人から、280万人にまで減ってしまった。しかも、74万人超が非正規雇用の公務員になってしまっている。政府自ら、非正規雇用を増やしているわけだ。
「少子化対策白書」によると、35-39歳の年収200万円未満の男性の婚姻率は30%、900万以上は90%。「これはもはや階級」と、筆者が主張し始めてからすでに5年以上が経過している。
結婚適齢期世代の非正規雇用が増え、雇用の不安定化と所得減少をもたらした主役は、もちろん企業だが、「政府」までもがそこに便乗した。貨幣的なリスクがない政府までもが、国民から安定的な雇用と、所得が継続的に上昇する機会を奪った。
結果、結婚が減り、少子化が進んだ。特に、民間の雇用が少ない「地方」で正規公務員数を減らし、非正規公務員を増やした。
理由はもちろん、地方交付税交付金削減という緊縮財政である。
――― 社会保険料は典型的な逆累進課税
2023年度の非正規公務員は、前回調査(20年度)と比較し6・9%の増加となっている。中央政府から財源を絞られる中、地方自治体が人員を正規から非正規に切り替える、つまりは「行政サービスの質を引き下げる」ことで対処していることが分かる。
非正規公務員の給与は安い。2022年の調査によると、年収が250万円以上の非正規公務員はわずか2割。4割は150万円未満。
2023年の調査では、非正規を離職した60人のうち約半数が、
「仕事を続けたかったが雇い止めとなった」
と回答している。雇い止めとは、要するに解雇だ。
給与が安いうえに、いつ、雇い止めになるか分からず、賞与についても格差がある。
結婚など、まさに「贅沢品」。
日本政府が本気で実質賃金引き上げや少子化解消を目指すならば、まずは非正規公務員を全員正規とし、公務員数全体を増やさなければならない。単に、地方交付税交付金を安定的に拡大していけば済む話である。
緊縮財政を続ける限り、我が国の行政サービスはひたすら劣化していく。結果、損をするのは日本国民だ。
公務員の行政サービスが劣化すると、そのツケは国民が引き受ける羽目になるのだ。
妙なルサンチマンに煽られ、
「公務員を減らせ! 公務員給与を削減しろ!」
と主張する者は、自分で自分の首を絞めているという現実を理解してほしい。
農家の所得補償(もしくは価格保障)、国土計画の復活、公務員増・公務員給与増・非正規公務員の正規化などは、筆者が最も重要と考えている財政支出である。無論、前記以外にも防衛力強化、医療サービス強化、社会保障の充実といった財政支出拡大も必要だ。
減税について追加すると、社会保険料の減免も必須である。特に低所得者層にとって負担が重いのは、所得税ではなく社会保険料なのだ。
何しろ、社会保険料は、逆累進課税なのである。低所得者は、所得税をほとんど払っていない。それに対して、社会保険料の負担は重い。
東京都の場合、標準報酬18万円の人で、厚生年金1・65万円、健康保険料8800円となる。実に、所得の14%強を社会保険料で持っていかれる。しかも、これでも労使折半だからまだしも「安い」わけで、国民健康保険・国民年金はさらに高い。 なお、厚生年金の標準報酬の最大値は月額65万円で、それ以降はどれだけ給与が高くても、厚生年金の保険料は月額5・95万円。そこに健康保険料が加わるが、これも標準報酬139万円が上限であり、どれだけ所得が大きくても、社会保険料は最大で14万円程度なのだ。高所得者層は、最大値である厚生年金の65万円、健康保険の139万円をはるかに上回る月収だったとしても、社会保険料は14万円(14万678円)。「=社会保険料÷月収」を計算すると、とんでもなく低くなる。つまりは、負担が軽すぎる。
それでも、享受できるサービスは同じなのだ。まさに、逆累進課税である。
「高所得者層の社会保険料を引き上げろ」と言いたいわけではない。全体の保険料を引き下げるのだ。
社会保険料の引き下げは、高所得者には大した恩恵にならない。それに対して、低所得者層の可処分所得(いわゆる手取り)に与える好影響は絶大だ。
――― 財務省が繰り広げる
ルサンチマン・プロパガンダ
日本国は、正しい財政政策に転換する「だけ」で、国民が豊かになり、安全保障の強化を取り戻すことができる。
正しい財政政策への転換。日本国民が、財政主権を取り戻す。
そして、本書でつまびらかにしたように、正しい財政政策のボトルネックとなっているのが、財務省という一省庁なのである。しかも、財務省は別に「日本国を滅ぼす」「日本国民を貧しくする」「日本人を消滅させる」といった、壮大かつ邪悪な野望に基づき、緊縮財政を継続しているわけではない。単に、財務官僚の出世という個人的理由から、日本国を凋落させていっているのである。
なんとバカバカしい。
国民貧困化、社会保障脆弱化、防衛力弱体化、教育の荒廃、科学技術力低迷、交通インフラ老朽化、防災安全保障脆弱化、さらには少子化、人口減少、国民分断とルサンチマンの蔓延、地方衰退、企業の生産性低迷などなど。
すべては「緊縮財政」という扇の要から派生した問題である。緊縮財政を転換しない限り、結局のところ、すべての問題を解決できないうえに、あらゆる社会的課題は解消されない。
厄介なことに、財務省は緊縮推進のためにルサンチマン・プロパガンダを仕かけてくる。デフレで所得が増えず、困窮している国民は、ルサンチマン・プロパガンダに煽られ、同じ国民を攻撃し始める。
ルサンチマンとは、人々が漠然と社会に抱く「怨恨」「嫉妬」「劣等感」「憎悪」などになる。財務省は、緊縮財政を推進する際に、「得をしているように見える人」に対する国民の憎悪を煽る。人々のルサンチマンに訴えかけて、予算を削減しようとするのだ。
例えば、高齢者(年金受給者)、生活保護受給者、公務員など、政府の予算からおカネを受け取っている人に対する憎しみを搔き立て、緊縮を実現しようとしてくる。
さらに、財務省のルサンチマン・プロパガンダに協力する「言論」が後を絶たない。
例えば、高齢者の社会保障削減。
「現役世代が苦しいのは、高齢者が優遇されているせいだ」
という主張がSNSを通じて広がり、社会保障削減を支持する国民を増やそうとする。
とりあえず、以下のとおり反論しておく。
1.高齢者の社会保障を削減しても、現役世代の負担が軽くなることはない(財務省が社会保険料の引き下げなど、認めるはずもない)。
2.社会保障を削減すると、当然、高齢者の消費が減る。すると、高齢者が購入していた財やサービスが売れなくなり、生産者である現役世代の所得が下がる。
3.すべての現役世代は、やがては高齢者になる。高齢者の社会保障を批判している者は、将来の自分自身を困窮させていることになる。
少し自分の頭で考えてみれば、誰にでも理解できるはずだ。高齢者の社会保障を削り取っていっても、「国民」は誰も得をしない。得をするのは、社会保障支出削減で出世を確実のものとする財務官僚だけである。
財政破綻論とルサンチマン・プロパガンダは、極めて相性がいい。さらに、財政破綻論は自己責任論あるいは国民選別論につながる。
――― 財務省に悪用された地域選別論
2024年1月1日16時過ぎに能登地方を震源とするM7・6、震度7の大地震が発生。令和6年能登半島地震である。
コロナ禍の際(というよりは、コロナ禍以降)に、「財政が悪化しているから、政府はすべての国民を救えない。国民を救う国民と救わない国民に選別するべきだ」というニュアンスで、ナチスさながらの国民選別論が流行した。筆者は「すべての国民を救うべきだ」と、国民選別論に反発し続けたが、理由は、
1.そもそも日本に「財政問題」など存在しないため、すべての国民を救える
2.国民が選別され、互いに争うことで国民国家という共同体が崩壊に向かう
3.今回「救われる国民」に入ったとしても、次はどうなるか分からないためである。
能登の震災を受けて、予想はしていたが、やはり「地域選別論」が出てきた。人口によって「救う地域」と「救わない地域」を選別するという、愚か極まりない選別論だ。
地域選別論が極めて愚かな理由を、5つ挙げておく。ちなみに、感情論、感傷論はすべて排除し、「国家」という共同体の存在意義に基づき「5つ」挙げる。
1つ目。まずは、大前提として、災害列島に位置する日本国においては、国民は可能な限り分散して暮らし、各地で経済力(財やサービスの生産能力)を蓄積しなければならない。そのうえで、いざ災害が発生した際には助け合うのだ。さもなければ、生き延びられない。
地域選別論は、この「分散」を逆行させることになる。災害時に復興がなされないとなると、僻地に暮らす人々は、都市に流入せざるを得ない。地域選別論は、防災安全保障上の脅威なのだ。むしろ、都市住民こそが、地域選別論に反発しなければならない。
2つ目。例えば、「限界集落だから復興しない」といった地域選別に際した線引きが分からない。10人の集落なのか、100人の集落なのか、1000人の集落なのか。
どこで線引きをするつもりなのだろうか?
国民選別論と同様に、地域選別論についても明確な線引きはできない。現在は10人の限界集落でも、インフラを復旧させたところ、25年後にはむしろ人口が増えるかもしれない。未来は誰にも分からない。
例えば、今後の日本で食料安全保障やカーボンニュートラルの問題から、農林水産業が見直されることは(まともな国ならば)確実だ。となれば、今は「限界集落」などとレッテル貼りされている地域が、将来は産業拠点になり得る。繰り返すが、未来は誰にも分からない。
3つ目。限界集落だろうが何だろうが、「そこ」に「ヒト」が住んでいること自体が、国防安全保障に直結する。「限界集落は復興しない」となると、離島などの人々が危機感を覚え、さらなる人口流出が進み、無人島が増えていくことになりかねない。
となれば、10年後くらいに離島に中国の漁民が住み着いていることだろう。
日本国で「いわゆる保守派」を自称している人こそ、地域選別論に「国防上の問題」から反発しなければならないはずだ。
4つ目。そもそも地域選別論を主張する人たちは、「人口が10人しかおらず、近い将来、消滅する限界集落のインフラを復興させるなど、カネがもったいない」
といったニュアンスで反対しているのだろう。すなわち財務省主導の財政破綻論だ。
実際には、貨幣など国会で予算を組めば、ゼロから創出される。国債を発行するだけである。
5つ目。国家に貨幣の問題などないが、供給能力の問題は生じる。貨幣に制限はないが、土木・建設といった供給能力には制限がある。
ならばなおのこと、長期的な計画を立て、優先順位をつけたうえで、供給能力を投じる必要がある。安定的な需要が見込めるならば、土木・建設企業が投資を進め、供給能力も高まっていく。
日本の土木・建設の供給能力の回復のためにも、徹底的に選別論を否定しなければならないのだ。同時に、愚かな「選択と集中」もやめなければならない。
例えば、科学技術予算を投じた研究開発が、将来的にいかなる果実をもたらすのか、人間には予測不可能である。我々は神様ではないのだ。特定の研究開発が、未来永劫、何の恩恵ももたらさない可能性もある。あらゆる投資には、常にリスクがつきまとう。
だからこそ、利益を追求する企業ではなく、非営利団体である「政府」が総花的に投資を拡大するべきなのだ。
さらに、「本当に困っている人に限定的に支援する」という、財務省が大好きな発想も、2つの点から明確に間違いである。
1つ目は、「本当に困っている人」の定義も、特定も、現代の人類文明では不可能という問題だ。例えば、コロナ禍に実施された持続化給付金は「売上が前年同月比50%減った事業者」が対象であった。なぜ、50%なのだろうか。49・9%ではダメなのか。
2つ目。政府の緊縮財政という失政により、国民全員がダメージを受けている状況で、国民を選別しようとすること自体が問題だ。国民の選別は、「なぜ、自分には支援がないのに、あの連中にはあるのか」
といった形でルサンチマンを引き起こし、国民分断につながる。もちろん、財務省としてはそれが狙いなのだろうが、陳腐なルサンチマン・プロパガンダに引っかかってはならない。
――― 間違いだらけの「選択と集中」
我が国では、財政支出の必要性を認めた(ふうに見える)人であっても、すぐに「適切な分野に支出する」「生産性が高まる分野に投資する」などと、神様を気取る。つまりは、選択と集中だ。「政府の財源には限りがある」という間違った前提に基づき、政府の予算(財政支出)について選択と集中をしなければならないという、誤った考え方に凝り固まっている。
選択と集中は、もともとはビジネス用語だ。
多角化を推進していたアメリカのゼネラル・エレクトリック社(以下、GE)において、1980年代にジャック・ウェルチがCEOに就任。
事業の「選択と集中」を宣言したのだが、実は選択はともかく「集中」は誤訳である。ウェルチの「集中」の原文における表現は「Focus」。つまりは、事業に「焦点を当てる」となり、「事業を絞り、残りは切り捨てる」ではなかった。
選択と集中とは、実は「選択し、焦点を当てる」という意味だったのだ。実際に、ウェルチは1000もの事業を営んでいたが、切り捨てたのはわずかに70程度にすぎなかった。GEは、ウェルチの「選択と集中」宣言以降も、事業拡大路線を進んだ。
ところが、この「選択と集中」が、
「事業を選択し、残りは切り捨てる」
という間違った意味合いで日本に広まり、リストラのレトリックと化してしまった。
企業にとって、極端な選択と集中により、事業を絞り込むことは逆にリスクが高い。
何しろ、「集中した事業」の市場競争に敗れるか、もしくは市場そのものが消滅すると、途端に企業は存続の危機にさらされることになってしまう。
信じがたい話だが、企業にとってすらリスクが高い「選択と集中」を「政府」がやっているのが我が国だ。もちろん、財務省主導の緊縮財政のために、もともとのジャック・ウェルチの意図とは異なる意味合いで「選択と集中」が利用されているのである。
要するに、財務省は人々のルサンチマンも、ウェルチの「選択と集中」も、あらゆるものを財政破綻論の拡散、緊縮財政の強行に活用しようとするのだ。緊縮財政の理由は頻繁に変わるが、それは要するに「結論が間違っている」という話だ。
間違った結論に導くためのレトリックは、容赦なく批判し、否定される。すると、全く同じ結論に導くためのレトリックを、新たに創案するのである。
特に、高齢者や生活保護受給者、あるいは反論が難しい公務員にレッテル貼りをし、他の国民に攻撃させることで緊縮財政を実現しようとするルサンチマン・プロパガンダは悪質だ。国民の連帯意識を破壊し、レッテル貼りをされた「同じ国民」に対する憎悪を搔き立て、邪な政策を進めていく。
やっていることが、ナチスと同じなのだ。
――― 本当のラスボスは財務省の文化構造
もっとも、SNSを中心に、ここまで「財務省のウソ」が国民に知れ渡ってしまった以上、もはや逆転は不可能だろう。例えば、2024年末から翌年にかけて、自民党税務調査会の会長、同時に年金委員会の委員長である宮沢洋一参議院議員は、実は国民の代表ではなく、
「財務官僚が国会議員の仮面を被っている」
にすぎないことが露呈した。宮沢洋一氏はネットで積極財政を妨害する「ラスボス」と呼ばれているが、必ずしも正しくない。というよりも、ラスボスは「人間」ではないのだ。財務省の文化、構造なのである。
出世のためには、緊縮財政を推進せざるを得ない。緊縮財政を推進することで出世した上司が、緊縮への貢献を評価基準として部下を査定する。この奇妙な構造を維持するために、財務官僚は、
・記者クラブ「財政研究会」を使ったメディアコントロール
・シンクタンクやメディアへの天下り
・スキャンダル
・国税庁による税務調査
・政治家への「ご説明」
といった武器を駆使しているにすぎない。
もっとも、彼らにとっての最強兵器は、前記の武器を用いていることが「知られていなかった」ことなのである。本当の悪者は、表に出てはいけない。
彼らはすでに姿を見せてしまった。
例えば、2025年の通常国会において、基礎控除等の引き上げを妨害した財務官僚は誰なのか。
吉野維一郎主計局次長。中島朗洋首相秘書官。一松旬大臣官房審議官。この3名が首相官邸において、石破茂総理(当時)を囲い込み、緊縮財政の必要性を「ご説明」し、基礎控除等引き上げという減税を妨害したのである。
積極財政への転換を妨げる財務官僚の個人名が出るなど、以前は想像もしていなかった。
財務省と戦う際には、印象、イメージ、レッテルではなく、事実、あるいはデータに基づくことが極めて重要だ。例えば、農業の保護政策。
いまだに、日本には、
「日本農業は保護されすぎている」
と主張する者が少なくないが、データを見てほしい。
アメリカや欧州は、莫大な所得補償や価格保障の予算を使い、農家を守っている。
先進国の中では、唯一、日本だけがやっていない。結果、農業が消滅の危機に瀕している。
アメリカの農業予算が多いのは「再生産可能な価格の保障」だからである。アメリカ方式の場合、グローバルな穀物価格が下がると、再生可能な価格との乖離が広がり、自動的に農業予算が増えてしまう。
欧州方式の所得補償であれば、農産物の価格とは無関係に、定められた所得に応じ
て予算化するだけだ。相対的に、農業予算は安定的になる。それにしても、1戸当たりの農業予算が、アメリカはともかく、ドイツにしても662万円、フランスは480万円。欧州の農家は、ほとんど公務員なのだ。
この現実を見ても、
「日本の農業、農家は保護されすぎている」
などと主張する者たちが少なくないのが我が国だ。財務省の洗脳力は、すさまじい。
とはいえ、時代は変わった。インターネットの発達により、我々はデータという武器を手に入れた。
日本は、変わる。いや、我々が変えなければならない。政治に声を出し、緊縮財政派の政治家、政党を選挙で引きずりおろすのだ。
財務省との戦いは、現在進行形で続いている。我々は今、財務官僚という、日本経済を破壊したテロリストたちから、財政主権を取り戻そうとしているのだ。
財務省の敗色は濃厚だが、まだ彼らは負けていない。最終的に我々が勝利する日が遠ければ遠いほど、日本は亡国の確率が高まる。
日本国の主権者である我々日本国民が動くしかない。自分のためではなく、我々のために投資し、働いてくれた先人のため、そしてこれから生まれてくる将来世代のために動くのだ。
繰り返すが、我々日本国の主権者の勝利は疑いない。問題は、決定的な勝利の瞬間が「いつ」なのかである。
了