

総社宮がいつごろから創建されたのかははっきりわからないが、これは、あくまで律令政治のもとで国司たちが各地の神社を参拝するための便宜としてつくられたもののようだ。
中央から派遣された国守は、国府に赴任するとまず国内の神社を参拝するなど事あるごとに神社をめぐるのが任務だった。しかし、どうもこれでは時間がかかりすぎ、労力も大変だというので国内各地の神社をまとめて総社とし、国府の近くに建立したものである。
備前総社宮には備前国内128社の祭神を合祀されており、現在ではその地域、中井、祇園、賞田の町内会が中心となり、氏神として祀っているのだが、残念なことに、平成4年2月16日未明、心なき者の放火により随神門を残して社殿が全焼消失してしまった。
しかし平成17年4月この由緒ある立派な総杜宮を焼失前の状態に復興し、後世に引継ぎ伝えるため「備前国総杜宮復興奉賛会」を設立し再建に動き出した。
総社宮というと備中のそれが有名だ。現在の総社市の名前にまでなった備中の総社宮は、大国主命を主神に実に324の神を祭ってある。
ここ備前の総社宮から南東、近くの岡山市国府市場に国府跡が発見されていることなどから、この地域一帯は備前国の政治の中心地であったことが有力視されている。