知ることは人生を楽しくしてくれるものです。郷土の歴史を知ることもその一つではないでしょうか。
ここは、吉備王国として栄えたことに知られる約3千年の歴史ある土地柄です。
備後(広島県)の母なる川である芦田川、備中に高梁川、備前・美作には旭川と吉井川の2本と、吉備王国に4本の大きな河川とともに育み、肥沃な土地で農業が発達し、中国山地に眠る砂鉄、そして塩田と豊かな暮らしが営まれていました。
瀬戸内海は、古代においても重要な交通路でもあり、その中心に位置する吉備王国は重要な存在でありました。古代には今のJR山陽線あたりが海岸線であったとされていますが、岡山県内三つの河川による自然堆積や人工による埋め立てによって岡山平野が出来上がったものです。
特に岡山市一宮およびその周辺あたりは吉備王朝の中心地であり、「古代遺跡」の集中している”吉備の中山”は、古代には一つの島であったか半島であったといわれています。
百間川放水路にあっては江戸時代に造られたもので、このあたりもやはり国道250号線(旧国道2号線)あたりが海岸線であったにちがいありません。
こんなことを思うと、現旭川河口は、古代においてはもっと北側にあったことが推測されます。
やはり古代遺跡の多く存在する操山を含む一帯の丘は、吉備の中山と同様、一つの島か半島であったことが容易に想像がつきます。
こんな地帯において、私たちの住む郷土、竜之口山周辺はどんな存在であったのでしょうか?
それを少しでも理解するには、古代吉備王朝から、その後大和朝廷下に組み込まれていく変遷からひもといていかなければならないと思います。





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吉備の国に造設された古墳から
吉備王国の繁栄ぶりが読み取る
ことが出来ます。
 〔再生時間;3分20秒〕
桃太郎伝説から「宇羅退治伝説」
です。 これにまつわる名所・
旧跡も紹介されています。
 〔再生時間;12分24秒〕
桃太郎伝説には、その基礎となる
話しが存在しますが、その基礎と
なった真実を明らかにします。
 〔再生時間;11分26秒〕





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1. 大神神社 2. 備前車塚古墳 3. 浄土寺 4. 湯迫日吉神社 5. 関白屋敷
6. 最明院 7. 賞田廃寺 8. 唐人塚古墳 9. 備前国庁跡 10.スサノオ神社
11.吉備高島宮 12.備前国総社宮 13.脇田山安養寺 14.脇田山日吉神社 15.竜之口1号墳
16.竜之口八幡宮 17.竜之口山城跡 18.竜之口東山頂廃寺 19.四御神奥地下古墳群 20.四御神谷口古墳群
21.稲荷宮 22.土田八幡宮 23.喜兵衛大明王菩薩 24.天津神社 25.井寺廃寺跡
26.宍甘三王山古墳 27.牟佐大塚古墳 28.古代・中世・近世の山陽道

※ 参考資料=高見茂著「吉備王国残照」「吉備の国から」, 門脇禎二・狩野久・葛原克人編「吉備」のほか「岡山市史」「瀬戸町史」「山陽町史」「上道郡史」「高島村史」「高島・旭竜の史跡」「岡山県遺跡地図」並びに「岡山市文化財発掘調査資料」等。




 


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