

・祭神 大山咋命(おおやまくいのかみ)
別名: 山王権現、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)、
・由緒 創造時代未詳
・祭日 10月23日
天台宗浄土寺と境内を接して社地を持つ神社で旧湯迫村の氏神。
上道郡史には由緒不詳とあるが、浄土寺が社僧として祭祀し、社寺整理にあたって寺と離れて神官の奉仕する神社に改められたもの、吉備温故秘録の上道郡湯迫村のところに「山王宮(9月中の申の日祭り)」とあるのはこの神社に相当する。旧社格は村社。
社殿は、西に面しており、一間社流造檜皮葺きの本殿と、入母屋造本瓦の拝殿、幣殿から成る。
大山昨命は、国家安泰、衣食住、酒造り、山の神、水の神、縁結びの神、安産の神、そして疱瘡の神とも古来から伝わっています。
山王信仰は,滋賀県大津市の日吉大社に対する信仰である。その起源は近江の比叡山(日枝山)一帯に古くからあった山岳信仰である。主祭神は,大山咋(オホヤマクヒ)とされる。『古事記』の系譜では,大山咋神は大年神の御子,すなわち素戔嗚尊(スサノヲ)の孫にあたる。
平安時代になって伝教大師・最澄が日枝山に延暦寺を建立したが,山麓の日吉の神々を延暦寺の鎮護神・護法神として尊重し,「山王」と呼んだ。これは中国の天台山に山王祠が祭られていることにならったものである。これにより,両者の習合が始まった。これ以後,日吉大社は仏教風に「山王権現」「日吉山王」とも呼ばれるようになり,天台宗の隆盛に合わせてその信仰も拡大した。また延暦寺系の寺院が比叡山の山王神を勧請したことによって山王権現の信仰も全国に広まった。日吉大社の神霊が各地に分霊されて日吉神社・日枝神社が建てられた。
鎌倉時代になると,天台宗の教学と日吉の神への信仰を結合した「山王神道」が確立し,山王神は釈迦の垂迹とされ,さらに下ると伊勢神道の影響によって天照大神と日吉の神を同一とする主張も現れた。
しかし,明治政府の宗教政策によって延暦寺と山王権現は分離された。
山王信仰の特徴のひとつに,猿が神の使いとされることが知られている。比叡山土着の古い信仰において,その山に棲息する猿を神の使いとしていたのかもしれない。